ブラウンソースハンバーグ師匠

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアのブラウンソースハンバーグ師匠のレビュー・感想・評価

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ストリーミング主流のこの時代に、こういう作品を「自ら」掘り出すような手触りは最早ないといって等しい。

レンタルビデオ屋に通っていた当時は、今みたいに「監督」や「テーマ」といった整然なくくりで映画を観ることなんてなくて、もっと、とっ散らかっていた。

中坊のぼくは、「18」と書かれた暖簾を横目にいつかそこを通り抜ける至福を夢見ながらも、頼りない直感を頼りにして、どこか埃くさい陳列棚から「映画」を観ようとしていた。
この映画を見つけたとき、たしか、パッケージのフェイスがこちらに向いていたわけでもないのに
「知ってるか?天国では海の話をするんだぜ?」
みたいな、妙に作品愛の伝わるポップが貼られていて、今みたいにそういう映画を胡散臭く思いながらもあえてそこに「ノる」、という含みもない中坊の心に
「え、海の話をするんですか!?」
とバチクソヒットしたものだ。

まず、この映画に「こんなハチャメチャやってたらお前ら地獄行くだろ」という野暮なツッコミはなしだ。とにかくこの映画に「ノる」のが大事。

夭逝が確定したことで、かえって「なんでもできる」ようになった二人。
ノリで天国の話を信じ、ノリで海を見に行く。ノリで車を盗み、ノリで銀行強盗をし、ノリで牛の睾丸を食べる。計画性なんて死んでる。夭逝に対して、ほとんどおセンチにならないのも良い。海を見に行くためなら「死」すらも利用してみせる。
主人公達と敵対関係にある人々、銀行員や警察やマフィアまでもが、彼らの「ノリ」にどこか共犯関係を築いている。まるで天国行きのレッドカーペットをはやし立てるような存在である。

今は情報が錯綜していて、天国の流行はサウナでもVtuberでもパパ活でもマッチングアプリでも人生でも仕事でもキャリアでも大画面テレビでも洗濯機でも車でもいい。でも、それがいったいなんだと言うんだ?