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酒井家のしあわせのkuuのレビュー・感想・評価

酒井家のしあわせ(2006年製作の映画)
3.8
『酒井家のしあわせ』
製作年2006年製作。上映時間102分。
複雑な関係の一家が、ある事件を通して壊れかけた絆を取り戻していく姿を綴るホームドラマ

関西の田舎町に住む酒井家。
父・正和、母・照美、兄・次雄、妹・光の4人家族。
どこにでもありそうな一家。
しかし、実は照美は再婚で、次雄は前夫の連れ子。
次雄と光は父親違いの兄妹と云うちょい複雑な関係だ。
そんな家族関係を最近ウザく感じていた次雄は、親友ナリとつるんだり、同級生の秋に滑稽な告白をされたりしながら日々を過ごしとった。
しかし、ある日突然照美と喧嘩していた正和が家を出ると云い出し。。。

映画から膨らみ過ぎるけど、道徳的な価値の規範てのは普遍性を要求する。
価値観が多様化し、社会的、歴史的文化的に価値の相対性が喧伝され、価値の多元的並立が求められる状況にもかかわらず。
ほんでも、基本的な道徳的価値に関して揺るぎのない普遍性が主張される。
なぜなら、人類の社会があり続ける限り、
『人を殺したらあかん』
『約束は守らなあかん』
『嘘をついたらあかん』
ちゅう基本的な価値規範てのは、世界中の人々に共通すっと期待されているから。
特に、小生もガキの頃から
『嘘ついたら閻魔さんに舌抜かれるさかいに、嘘ついたらあかん』
って教えられてきてる。
せやけど、大人になるにつれて、必ずしも悪意ちゃう嘘をつかざるを得ない状況、いや悪意のあるモンも含め、多くの嘘をつき、そのうちに
『嘘も方便』
ちゅう語を身近なものにしてきてる。
『嘘も方便』
てのは、もともと、仏教の
『法華経 譬喩品火宅三車』の喩えから来てる。
燃えとる家の中で知らずに遊ぶガキに、羊車、鹿車、牛車をやると云って屋外に出させたという喩えから。
仏教には、大きく分けたら
大乗、
小乗
とあるが、結局は同一の悟りちゅう目的へ導く手段であると教えるモンや。
そこから
『目的の達成のためにゃ、便宜上の手段としては、時には嘘をつなきゃならへん』ちゅう、ことわざとなって、場合によっちゃ、物事の実現のためにゃ手段を選ばぬことの弁明や口実と化して使われとる。
せや、本当に『嘘も方便』なんやろか?
良いと考える目的達成のために、嘘を手段として用いることは道徳に適っているのかなぁ?
確かに、物心ついてから、一度も嘘をついたことあらへん人はいないやろし、
『ついたことない!』
って云う奴は既に嘘ついとる。
『人間は嘘をつくことがあるし、嘘をつかない人はいない』
ちゅう 事実判断から、
『人は嘘をついてもよい』
ちゅう価値判断は成立せえへん。
ほんで、また
『悪意ある嘘をついたらあかんが、善意の嘘は許される、いやむしろ、嘘をつくほうがよい場合がある』
ちゅう判断は人の行動の指針となんのか?
古くからのモラルの基本問題である『嘘』
について、現在までさまざまな検討のなされていることだけに、
この映画を観た人なら考える時間を持っても、人生の中で損はないかなぁと思った。
息子役の演技には哭かされたし、哭きの竜なら『あんた!背中がすすけてるぜ』なんて云われそうな位に哭けた。
浪花節には弱いなぁ。
関西弁も良かったが、
以前、『さんまのホンマでっか!?TV』によると関西弁が減少してるとか、ホンマでっかで聞いてるが、ホンマなら寂しい話しっす。
方言はいつまでも残ってほしいです。
kuu

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