Binchois

地上のBinchoisのレビュー・感想・評価

地上(1957年製作の映画)
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島田清次郎という作家を知っている人はほとんどいないだろう。
明治32年石川県の美川で生まれ、金沢の廓街で不遇の少年期を送る。
大正8年に発表した小説『地上』がベストセラーとなり、文壇のスターに躍り出る。しかし、生来の病的な傲慢不遜が仇となって破滅し、31歳で夭逝した。大正中期の文壇に輝いた、一瞬の彗星だった。
本作の原作では、著者自身を投影した大川平一郎少年が、社会の不条理を浴びながらもそれを克服しようと奮迅する。えらく大仰な文体が貫かれていて辟易しないでもないが、その中二っぽさが逆に魅力でもあった。
頁を繰る手が止まらず、先日読了した。

さてこれをいかに映画化するのだろうかと、期待と不安まじりで観てみたのだが…
川口浩&野添ひとみありきの、悲恋物語に丸め込んでしまったか。
原作との比較は野暮だとわかってはいるが、平一郎の燃えるような社会への義憤がほとんど削がれている。デビュー間もない川口浩の演技に難があるのも相俟って、ガックリ。
原作に関係なく、映画の熱量不足は否めないのでは。
しかし、加賀百万石の威光にいつまでも縋りたがる金沢人を批難してくれたのは、本当にスカッとした。

いちばんの見どころは、1950年代の金沢の町並みが使われていることか。見慣れた街路や用水が随所に出てくるが、西廓(にし茶屋街)の妓楼の密集度は今と比較にならない。景観復原の資料として結構価値がある。

以下、メモを兼ねた小ネタを。
※暁烏敏(あけがらす・はや)が登場したのには驚いた。大正期の真宗僧侶で、東本願寺界隈では有名な思想家。島田も彼の許に足繁く通っていたそうな。しかし原作には一度も登場しない。映画でも大した役回りはないのに、脚本の新藤兼人はなぜ起用したのだろう?当時の観客でも、暁烏先生なんて誰も知らんでしょう。
※平一郎が通う旧制金沢第二中学(金沢錦丘高校の前身)は、金沢城東の小立野台地上の飛梅町にある。撮影時には既に廃校しているが、ロケは二中の校舎を使っていると思われる(金沢くらしの博物館として現存)。さらに、学校から西廓へ帰宅する際は「桜橋」を通って犀川を渡るのだが、作中でもちゃんと桜橋が使われていた。いちいち忠実で感動した。桜橋の橋脚はまだ木製。犀川の河原は今よりも広く、中径の礫がごろごろ転がっている。河道は分岐・蛇行しており、河道改修前の犀川の様子がわかる。
※冒頭に映る瓦葺きの町並みは、東廓(ひがし茶屋街)のもの。卯辰山の宝泉寺から撮ったのだろう。平一郎の住む西廓からは遠い。
※東京から来た天野が妓楼から「ここからは金沢の街が一望できる」と呟いたが、西廓一帯は撓曲面の下に位置するため、いくら高い建物が無くても市街を一望することはできない。天野は「さいかわ」と発音したが、正しくは「さいがわ」。
※大河母子が最初に居候していた芸娼妓紹介所の右脇(東側)には「泉用水」が流れている。泉用水を挟んで東側が「西廓」、西側が「北廓」と呼ばれていたので、母子が住んでいたのは厳密には北廓になる。
※次に引っ越した「春風楼」は、現在のにし茶屋街の一番奥にあたる。右隣にコンクリ製の白い橋が架かっており、その先は検番跡として保存されている。
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