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伽揶子のためにのreinaのレビュー・感想・評価

伽揶子のために(1984年製作の映画)
3.7
朝鮮語と日本語の北海道/東北方言が混ざっており台詞を聞き取ることができない部分もあった。朝鮮語のみで話している部分には字幕がついていたが、呼びかけの言葉や短いセリフには字幕はつけていないようだった。

戦争で日本に残されてしまった在日朝鮮・韓国人が主役である。主役のサンジュンは「우리말」(朝鮮語)はあまりできないようで部屋の壁には朝鮮語の母音表が貼られていた。日本の大学に進学し同胞とも知り合う。その頃には部屋に朝鮮半島の地図が貼られていた。自分が朝鮮人であることを忘れないように毎日見る場所に張っているのだろうか?自身のルーツやアイデンティティへの葛藤(「葛藤」なんていう簡単な言葉では表すことのできないものであろう)今いる場所にも落ち着けず、だからと言って来た場所へ帰ることもできない人々の不安は私には想像が及ばないほど怖いものだ。安心して落ち着ける場所がないって恐ろしいことだから。

伽倻子は登場した時からずっと永遠の寂しさのようなものを纏っていた。なんだか楽しいはずのシーンでも心から幸せには見えず、まるでこの世では幸せになれない人みたいだった。状況的に特にサンジュンに特別な気持ちがあった訳でも無く、ただ他に誰も手を差し伸べてくれなかったからその手を取ったのだろう。それ以外に道はないから。でも二人きりで手漕ぎボートに乗った時だけは幸せだったのかな。

この在日朝鮮・韓国人の状況を問題提起し、変化を要求するような声の大きな映画ではなく、そっと一当事者の暮らしを覗いてみたような素顔の映画。ただ私が驚いたのはこの映画は1984年公開の映画なのに2024年の今と在日朝鮮・韓国人の人々を取り巻く状況はあまり変わっていないではないだろうか?と感じた。映画の中の薪ストーブや学生服を着た大学生はもう過去に消えたものなのに複数のルーツを持つ人々に対する日本社会は変わったと言えるだろうか?

上映後の小栗康平監督のトークショーで、新文芸坐館長から「『泥の河』というヒット作の後になぜこのような題材の作品を撮ろうと思ったのか?」と聞かれ、「今だからこそやるべきと思った」とのようなことを仰っていた。「在日朝鮮人作家の李恢成さん原作作品に在日朝鮮人の俳優を起用して映画を撮る日本人の自分」に対して常に懐疑的な目を向けているようでとても信頼のおける監督という印象を受けた。質問に答える言葉が非常に真摯でありながら詩的で美しかった。他の作品も観てみたい。
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