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書を捨てよ町へ出ようのすずのレビュー・感想・評価

書を捨てよ町へ出よう(1971年製作の映画)
3.0

一素人として勝手な感想を言わせて貰えば、寺山修司に心酔するアングラ役者たちが、「我が魂の全て寺山先生に捧げます‼︎」と ひとりひとり着衣を脱ぎ捨て絶叫し(イメージ)、その鬱積した情熱を撒き散らすかのような異様なボルテージで、寺山氏自身も、これ見よがしの貪欲さで、ガチャガチャとあらゆるモチーフの映像を挿し込みまくり、いかにも実験的で、危険で、やかましくて、目まぐるしいのだが、この排他主義的な作風にあぶれた者たちは、次第に路頭に迷った挙句、ウトウトと自らで暗幕を下ろすような…そんな感じの作品だった(どんな感じだよ)。

後半になってようやく本筋の言わんとする意図がボンヤリと浮かび上がってくる感じだけど、とにかく実験映像という体の、とっ散らかった肉付けが、散らかったままイマイチ収斂されないし、前半部分などは特に、何を見せられているのかよくわからなかった。

『書を捨てよ町へ出よう』なんて、何とも魅了されるタイトルだが、この字面の響きとパワーが先行しすぎて、期待感と内容の落差に戸惑う。あくまで無産階級の鬱屈と初期衝動的な怒りの領域で、ひたすら喚き散らすような、絶望の上塗りのような、浮かばれない現実こそがリアルだ、とでも言うのならば、それはそれまでで色気もへったくれもないわけで。

「町は開かれた書物である。書くべき余白が無限にある」

壁面に石灰で描かれる言葉。こんな良質なモチーフから、いまいち胸糞の悪い展開へと転んでいくのはどのような問いかけなのだろうか。「その心は何だと思う?」と、それを鑑賞後の余韻に投げかけているとは思うけど、そんな安直な絶望よりも、気鋭の作り手ならば、何らかの〝その先〟までをパッケージングして欲しかったかな…。まあ、よく分からんけど。。

白日のもとに映画なんてものは映せない。暗闇で、アングラで生きていくしかないんだ。ポランスキーも大島渚もアントニオーニも、電気がつけば消えてしまう世界だ。

ここでは、幻滅も怒りも、希望も、作りもの。映画なんて嫌いだ。さようなら。

そう語りかける主人公。もはや、しがみついて観るのはやめにして、眼前の光景を傍観するのが正しい見方なのかもしれないと思った笑。

独りよがりで、自信たっぷりで、雰囲気もありげな、他人の詩を読んだような気分。そこには、勿論、その人なりの魂が込められたものなのだが、万人が共鳴できるものでもない。

これぞやりたい放題やれた時代の遺産ではないか。路上のゲリラ撮影みたいなのは本当かな?凄くヒリヒリとした緊迫感があった。

プロレタリア文学的、青春の焦燥、表面的なシュルレアリズム、映画へのアンチテーゼという体裁のナルシシズムと、疑いもなき芸術愛と、傲慢な自負。だが、毒にも薬にもならない作品よりは、何かが覚醒する予感を感じさせるパワーがあった。取り分け、何らかの〝作り手〟たちには刺激物なのかもしれない。

※若かりし平泉成と三輪さんを見つけた時のアハ体験。あと全編セリフがかなり聞き取り辛い。
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