デニロ

妻のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

(1953年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

林芙美子の原作を井出俊郎が脚色した1953年製作公開の成瀬巳喜男監督作品。

上原謙と高峰三枝子の息の詰まる夫婦生活を描く。しかもラストには救いもない。成瀬巳喜男作品は救いのないまま終わる作品が多いが本作はぐったりと疲れ果てる。

結婚10年。子どももなく会話もなく、というのはよくあることではないか。わたしの家もいつしか子供の話題以外には会話もなくなったような気がする。その子供の話題だって、それこそ受験時期でもない限り無理矢理絞り出さなければ出てこないものだ。子なくして夫婦が一緒に居るのはつらいものがあるのではないかと思う。とは思いつつ仲良く旅行をしている夫婦もいるわけで、夫婦喧嘩など犬も喰わないというほどで夫婦のことなど他人には判らぬものだ。

さて、結婚10年、会話もなくなった男と女。サラリーマンの男は勤め先のタイピストの未亡人に気遣われながら昼食をとる。妻の作った弁当はドカベンにめざしがのっけてある見た目にも不味そうなものだが、副菜をタイピストが用意してくれている。その流れでいつしかふたりは喫茶店でおしゃべりをしたり、休日に美術館で絵の観覧をしたりする。が、不図気づくと彼女は自分の気持ちを押し殺すかのように大阪に行ってしまう。とはいえ男が出張で大阪に来ると一緒に食事をしたり、情を通じたり、すっかりふたりはその気になってしまう。

タイピストを演じるのが丹阿弥谷津子。毅然として品がある。妻を演じる高峰三枝子は、箸を楊枝代わりにしたり、お茶で口をゆすいだりして生理的嫌悪感をもようさせる仕草に加え、親友の高杉早苗に汚い台所ねぇ、包丁も錆びてるじゃないの、どんなもん食べてるのよ等と言われる始末。性的魅力の差は明らかだ。

それにしても高峰三枝子の上原謙に対する執着は理解できない。散々こき下ろしておきながら、上原謙の情事の告白に怒り狂い、不潔と言い放ち、裏切り者と罵る。勤務先に押しかけ探ったり、丹阿弥谷津子に難詰の手紙を出したり、挙句の果てに直接交渉に乗り込む。こんな行状に及ばれた日にはいやもう男が立たぬ。余計嫌気がさす、ということも理解していない。尤も上原謙も丹阿弥谷津子との生活を思い描いた出奔計画が丹阿弥谷津子の心変わりにより頓挫するといつもの通りの日常に戻る始末。

何だかうちの事情を描かれているようだ、と思いながらみんな画面を見つめていたのだろうか。

昭和の国鉄のフルムーンキャンペーンは何もかも諦めたこのふたりの後日談、であるわけでもあるまい。

神保町シアター 没後50年 成瀬巳喜男の世界 にて
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