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音のない世界でのharukaのレビュー・感想・評価

音のない世界で(1992年製作の映画)
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ろう者の世界

別言語と文化を持つろうの世界にカメラをむけて、ただの対象としてではなく、個人個人やその世界へ対峙した映像。
優しさもリスペクトも感じるとてもいい映画だった。

自分とは違う世界の人をこんなにも相手の世界に受け入れてもらいながら世の中に提示できる映画監督はいないと思った
他の映画も見たい


手話は違う言語であること、世界共通ではないことは知っていたけど、あらためてそこまでしられていない事実だと思わされた。

何度見ても思うけど、とても表現が豊かな言語。
複数人で手話で会話している場面を日常ではあまり見ないけど、みるカフェでもおもったが、各々が静かにでもたくみにしゃべっていて楽しそう

ろうの人にとって言葉と音が結びついてないとやっとわかった
小学校では必死に発話が教えられていた。発話の時は音を表す指文字を添えて練習していた。
多分、切手という言葉を知っていて、それが手話では表せても、「きって」という音と言葉は繋がってない。ある意味、切手という漢字から意味はわかってもその読み方がわからない状態な気がする

だから、音声言語を習うことは外国語を習うことと一緒でとても大変なんだろう

聴者はろう者の世界と繋がらなくても生きていけるけど、ろう者はどうしても聴者の世界に合わせて生きなきゃ行けない。
結婚式、物件探し、病院。全てが聴者によって運営されていて、そこに入っていかないと生活がなりたたない。
だから、音声言語だって学ぶ。
わからない、置いていかれる、できない、悔しい、もどかしい。
そんな感情を持つ場面が増える。泣き虫の男の子をみて胸が痛くなった。
マジョリティの世界がマイノリティの人に課していることを知らしめてくれる映画だった。
でも、だからといって手話ができるようになるのは難しい。
共生社会とはいうけれど、共生は可能なのか、共生したいのは誰なのか。

大変さじゃなくて、主体的な個人の物語もたくさん語られていたり、生活そのままが写されていたり、その世界を覗かせてもらった、入れてもらったかんじがした。


大人になったろう者をみるまで、20歳で死ぬと思ってた。とか、子どもはろうがよかった、手話は国ごとに違うけど2日あればわかるようになる。とか、家族の中で自分だけがろう者である寂しさとか。
当事者自身の多様な語りを聞く機会なんてあまりないからとても貴重


6歳までろうであることを親が気づかないとかあるんだなと思った


音を発話するとそのアルファベット記号の方向に移動するゲームはよく考えられていると思った
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