三四郎

虞美人草の三四郎のレビュー・感想・評価

虞美人草(1941年製作の映画)
4.8
この物語で最も大事なのは藤尾が持つ「金時計」だ。
子供の頃から藤尾は金時計を玩具として遊んでいた。宗近君はこの金時計が欲しかった。藤尾の父親と宗近君の父親は、将来宗近君にこの金時計をあげれば、藤尾もついてくるだろうと笑っていた。
この金時計はすなわち藤尾を表す記号である。
金時計=藤尾
ここに小野さんが登場する。
小野さんもこの金時計に魅せられる。藤尾は彼の目の前に金時計をチラつかせ「あげましょうか」という素振りを見せる。
つまり、この物語は金時計=藤尾を巡る藤尾、宗近君、小野さんの物語なのである。

藤尾と小野さんは「大森」に行く約束をする。当時、大森に男女が行くということは「性的関係を結ぶ」「駆け落ちをする」というのと同じだった。

最期、小野さんとの関係を邪魔された藤尾は宗近君に「そんなに金時計(私)が欲しければくれてやる」と金時計を宗近君に差し出す。宗近君はそれを受け取り暖炉に投げつける。そして金時計は割れ、針は止まる。この時点で藤尾の生命も絶え果てたのである。金時計はすなわち藤尾自身なのだから。

着物、畳、障子、和室…なんと落ち着く風情。街道、子供たちの歌声…日本映画は絵になる。
この小説は、宗近君がいいんだよなぁ。
漱石の小説の映画化を初めて観たが、素晴らしい出来栄えだ!
霧立のぼるのような目のクリクリした西洋人形のような人に藤尾の役は無理だろうと思っていたが、見事に演じきっている。鋭い目線、妖婉な動き、高笑い…。糸公と宗近君の会話から花火、顔の動き、バックに流れるメロディ、日本人形、観覧車…素敵だ、実に綺麗な綺麗なシーンだ。
台湾館での会話、メロディ、亡国の菓子、西洋人、全てが素晴らしい演出。霧立の表情も台詞回しも流れるようだ。

甲野さんが宗近家を訪ねて行き、糸公が接待する場面。糸公は彼に座布団を敷き、自らは畳の上に座る。これこそ日本の美。ベルリン留学中に観た映画なので、余計にこのシーンに「日本の美」を感じた。古い映画には学ぶことが多い。
「あなたは気楽でいい」「そうでしょうか」「それでいい。いつまでもそれでなくっちゃだめだ」漱石は、ハイカラな女も多く描いたが、彼が幸福にしてやろうとする女、印象良く好ましく描く女は、糸公のような純粋な、清純な女性だ。彼はモダンすぎる気の強い女を嫌ったのだろう。
「兄さん…、女は驚くうちは楽しみがあるって、あれ本当?」こうゆうシーンが好きなんだよなぁ。
文学の映画化に成功している傑作だ。
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