ーcoyolyー

チェ 28歳の革命のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

チェ 28歳の革命(2008年製作の映画)
3.6
ソダーバーグは誠実だな。革命というものの大部分は持久戦と消耗戦で派手なドンパチなんてほとんどない。映画的な派手な演出ではなくて革命の神経が擦り切れるだけのつまらない日常に主眼を置いて描いている。いくらでもヒロイックに演出できる人のさほどドラマチックでもなければヒロイックでもない日常をそのまま描こうとしている。

共産主義というものはその理論を確立したマルクスやエンゲルスにしたってその理論に則り革命を成功させたチェ・ゲバラやフィデル・カストロにしたって実家が太い知識や教養のあるボンボンかつそこに更に高潔な人柄を併せ持った人物たちの手によって生み出され育まれてきたもので、こういう人たちの力を借りなければ成し遂げられない理論であるということ、そこには相当な構造的な欠陥があるのでは、と思います。この人たちやチトーやホー・チ・ミンがトップにいるならともかくスターリンや毛沢東がトップになった時の目も当てられない人治主義の側面、昨今の日本共産党の党首公選制をめぐる一般人ドン引きの対応など見るにつけ、まず最初にしなければならない部分のアップデートがなされていないなあと、2023年にこの革命を振り返って見る時には考えなければならない問題なのではと思う。

2023年に見るチェ・ゲバラとしてはあと葉巻ですね。この人が重い喘息持ちだったと私この映画観て初めて知ったのだけど、喘息持ちなのにあえて葉巻を愛用してるように見せなければならなかったその場の空気。何らかの象徴としてそう振る舞わなければならなかった、そういった演出をしなければならない境遇であったこと、マチズモとかプロパガンダとかそういう諸々のしがらみがあったのでしょうけど21世紀も5分の1は消化した今なされなければならないのはチェ・ゲバラが葉巻を吸うというパフォーマンスを必要としない革命運動の成功です。マチズモに裏打ちされた運動のやり方というのはもう潰えなければならない。なのにたとえばフェミニストの運動の中ですらマチズモが蔓延しているように私には見えることが今現在でも多々あって、革命運動の成功体験とマチズモを切り離すのがこれほどまでに難しいことなのか、と唖然としてしまいます。
チェ・ゲバラの富裕層のボンボンの割には手厚い弱者への眼差しや医学の道に進んだことの原点に彼が喘息持ちだった要素は大変大きなものに思えたので、中南米の強固なマチズモ文化に本来はそぐわない人物だったような気がして、こういう人が無理しなくて良い環境作りってとても大切ではないのかしら?など。

チェ・ゲバラは富裕層のボンボンで異邦人。
キューバで戦うにあたってそういう境遇の人物である疎外感や孤独感、私が思っていたよりはるかに大きかったらしくて、私が中南米と大雑把に括った解像度の粗さに今自分で恥じ入ってる。漠然と中南米って反米で一つにまとまってて国境感覚薄いのかなと思っていたけど、何気なく「野球やろうぜ」とゲリラ仲間が言ってた時のアルゼンチンとキューバの距離感にハッとして。その一言でキューバがアメリカ文化圏なんだとわかるし、サッカーの国アルゼンチンからやってきたゲバラがその地では疎外された異邦人であることもわかる。同じスペイン語を話していても違うんだよ。文化圏が違う。

そして私はつい最近、そのキューバ国籍の野球選手が日本で誕生日に「亡命ダメゼッタイ」と書かれたケーキを渡されたことも知っていて、それがウィシュマさんを殺した名古屋の地にあるプロ野球球団で起こったことであることも相まって、後半割とゲバラの戦いを眺めながらああ本当ディストピア極まってるなぁ……と、取り留めもなくつらつらと頭に浮かぶよしなしごとを書き留めることもせずそのまま流して流してただ編み物をする手を動かすだけで呆然としてました。それでも映画のお話についていける程度の密度だったのは助かりました。
ーcoyolyー

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