実際にあった話も基にしてるけど忠実というよりこういう人がいたらこういう事が起きるよねーという感じに作られてる。
引用好きの作家のくせにベッド上でのセリフは平凡でしかも一回やって賢者タイムに女に説教するクソ性欲じじいとか、スネ夫とジャイアンを合体させたようなクソ金持ちドラ息子とか、クソとクソに振り回されるお天気お姉さんとか、よくいるタイプの最強版みたいな感じで展開にいちいち説得力を持たせていた。
特にお天気お姉さん描写がよくて、グリーンバックの前で淡々とやる気あるのかないのかわからん感じで話すのとかとても良いし、天気っていうコロコロ変わるものを仕事にしててしかも自分では予想できないという立場ってのがすごい彼女っぽくて好き。
あんまり出てこない家族とかも、あっこいつの親あっ、って感じがするし、わざわざフランスのレストランで「京都行きたいよねー」とか話してる日本人とか出てきて絶妙に日本人観客を日常に引き戻してくれる感じも良かった。
美しい風景の非現実感と起こってる事態のしょうもなさみたいなミスマッチ感で進んでいって、金持ちとスターの間で行われる定型的なあるある話がとんでもない非日常を生み出すという構成も美しい。
ラストは蛇足っぽくもあるけど、あの晴れた表情が今まで起きたことのくだらなさから解放されて生まれ変わったかのようで、でもこいつの行動とか考えたら別に良い話じゃなく悲しい表情にもとれるみたいな、こっちの感情も引き裂いてくる感じでかなり好き。
あと、映画に出てくるマジシャンの手品はなんで見せる相手の首の後ろからコインとか花とかボールを出すものが多い(バリーリンドンとかザ・フライ2とかマジシャンが題材の映画じゃなくても出てくる)んだろうみたいなこと考えてたらこの映画にも出てきたから考えをまとめた。
まず、1対1で至近距離で見せる手品の現象はカードマジックを除くと「変化」「出現」「消失」に大きく分けれるけど、一番映画的に見せられるのは出現でカメラの外で手に隠しとけばいいだけだから役者のテクニックもそれほど必要とされない。
「復活」とかもあるけど破壊して復活させるのに時間かかるからダメ。
で、構図的に見せられる方の役者の表情を映さなくちゃいけないから、マジシャン側の視点か横から撮るかに絞られて、マジシャン側の視点だと手に隠してるものが見えてしまいがちだから横か斜めぐらいから撮ることになる。
首の後ろから出現させるのはカメラからもマジック観客からも死角になるというのもあるし、映画の観客がマジックの観客より一瞬早く事態を確認できる効果があると思う。
別に映画観客を手品で驚かせるためのシーンじゃないことがほとんどで、観客と時差を与えると登場人物だけが特別に驚いているという演出にもなる。
要は簡単で金もかからなくて都合いいからって事だと思うのだけど、引き裂かれた女はその後の展開も含めて非常に上手い使い方をしていた。