roppu

ワンダフルライフのroppuのレビュー・感想・評価

ワンダフルライフ(1999年製作の映画)
2.0
企画としては面白いと思うし、映画プラットフォームとしてのメディアを用いて、やろうとしてることもわからないでもない。
観客もまた、自らの記憶を辿らせざるを得ない、そんな効果がある。きっと誰もが、誰かとの記憶を辿りながら、泣いたり笑ったりしているのかもしれない。

しかし、この"誰か"との記憶に収まってしまうのが、我々人間の限界を感じてしまう。
記憶がいつも誰かとであらねばならぬかのような強迫観念、捻くれ者の僕にはそんな風に受け止められた。

生を描こうとして、結局死をテーマに終着点にしてしまう。または、死を描こうとすると、結局生に行き着いてしまうことのタマゴニワトリ作用。
何観てもニヒっちゃうのはもはや映画製作者に対する批判でもなく、そもそも是枝監督はいつも鉤括弧付きの『家族』を映しているので仕方ないと言われれば仕方ない、個人的な思い入れはその程度にしても、なぜだ、なんだかしっくりこない。

どこか抽象的な、廃墟の学校か事務的なコンクリート建築で働く、すでに死んだらしいが死にきれない人々。
この人たちについてもう少し描いても良かったのじゃないかなと思う。
ドキュメンタリーっぽい、制作裏的なのはまさにそれとして置いといて。

企画は面白いのに、設定としてアラキが全く70代的な演技をしていないし、他者の過去を堂々と見るような、神の手を借りたかのような暴力。記憶は記憶であるがために美しいはずである。
是枝監督が記憶やその本質であるメランコリックな質をフィルムに焼き付けることには、言葉にできない感銘を受けるが、果たして、それを死んだ人間みんなにやれという、こんな拷問あるだろうか。

僕なら絶対にそんな映画製作を、たかがその制度だかルールのために手伝ったりしないし、あの一人の青年と同じようにしただろうと思う。
それでもあの制作現場に残らないければならないとして、あんなふうに他人から「先が思いやられる」などと言われるようものなら、それこそ死んでまで死にたくなるわ!あの青年が死んでしまった理由は何だったであろう!

実は作品そのものも、映画製作の中であってほしかった。
冬の室内でウールのニットを着ているときに、腕や首の辺りがズキズキするようなあざとらしさ。こういう作品に愛的な質を入れちゃう、無自覚のあざとらしさ。
こういうのには、もはや滑稽なほど消費され続けてきた夢オチ(もしくは再びフィルムが回される映画オチ)にして、生と死を謳いながら、我々は自由でないんだと言うのが、偉そうながら勝手に僕には好み。
例えばこれをルイス・ブニュエルに撮らせると、とんでもなく面白い映画になると思う。
roppu

roppu