クロスケ

ワンダフルライフのクロスケのレビュー・感想・評価

ワンダフルライフ(1999年製作の映画)
5.0
【再鑑賞】
映画それ自体はフィクション=作り物だが、そこに映っているものは人々の記憶の中に存在する現実である。

本作は作品自体がそんな考察を我々に提示しています。

映画の中で登場人物たち自身が自らの記憶の映像化を試みる。そして、それが忠実に再現されたとき、つまり、映画を現実として受け入れたとき彼らはあの世へ旅立つ。

彼らは自らの記憶のある一部だけを映像にします。その時点でそれは既に虚構です。無意識のうちに、いや、意識的にかもしれませんが、脳の中で都合のいい部分だけを編集しているからです。
その証拠に彼らが語る思い出はディテールまで鮮明な反面、逆に曖昧な点も露呈されます。
少女時代に赤い服を着て踊ったという思い出を語った老婆は、洋服の忠実なスケッチを描いておきながら、ハンカチをどういう経緯で手に入れたのかを覚えていません。何か複雑な事情を抱えてそうなサラリーマン風の中年男性は、押し入れの暗闇の中という極めて情報の少ない思い出を選んでいます。若い頃の恋の思い出を選んだ中年女性は、その思い出自体を若干、捏造すらしています。
個人の記憶とは必ずしも現実と一致するものではありません。自らの意識が介入し、現実とは少しずれた情報で構成されます。そんな記憶を元に作られた映画は圧倒的に虚構ですが、しかしながら、それは個人の脳内で再構成された紛れもないもう一つの現実なのです。

人間にとって忘れられない掛け替えのない記憶とは一体何でしょうか。人によってはそれは幼い頃の淡い思い出かもしれないし、青春時代の恋の思い出かもしれません。胎児のときの記憶を持つ人もいるといいます。
また、本作の伊勢谷青年のように過去ではなく未来に訪れるであろう記憶に対して価値を見い出す人もいれば、忘れられるのが怖いと訴えるシオリや残してきた娘に思いを馳せる川島のように現在の記憶に執着する人もいます。
本作では過去の思い出を大切なものとして描かれている印象が強いですが、是枝監督は必ずしもそうではないと我々に考えさせる余地を持たせています。

人間にとって真の意味での死とは、その人が存在していたという事実が人々の記憶から消えることだといいます。そういう意味で本作の登場人物たちはあらゆる人々の記憶のただ中に存在しています。死後の世界を描きながら、生きることや人間の存在を賛美しているこの映画は、細やかながらも近年の是枝作品では得ることが出来なくなってしまった慎ましやかな感動をもたらしてくれます。
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