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怪談蚊喰鳥のhorahukiのレビュー・感想・評価

怪談蚊喰鳥(1961年製作の映画)
3.6
記録です。

心霊要素はほどほどに、3人の男女の愛憎入り乱れるドロドロな人間模様を見せつけられる。三味線の師匠を商いとしている菊次を中心に、ヤクザ紛いのコウと按摩のトクノイチの三角関係。菊次はコウに惚れ込んでいるが、一方のコウは菊次を見限っており、地元有力者の娘婿になる話に飛びつく。そのための条件として自身の借金問題を全部解決しなければならず、その思惑は伏せて菊次に金の無心をしている。しかし菊次はそのことに勘付いており、金をチラつかせて自分のところにコウを留めようとする。そこにとくのいちが絡んでくる。とくのいちの兄、たつのいちは菊次の専属の按摩だったものの数日前に死亡。それを知らせにやってきたとくのいちは菊次に惚れてしまう。こちらはたつのいちの残した大金をちらつかせて、菊次とコウの仲を断ち切り菊次を我がものにしようとする。

3人全員が各々の利己的な欲望を満たすためにそれぞれを牽制しながら、その場その場で立ち位置を二転三転させていく様は人間の醜さが出ており滑稽なものの、冗長で退屈に感じる場面も多かった。死んだたつのいちが菊次のもとに幽霊として現れる恐怖シーンが冒頭にあるのだけれど、このクオリティが非常に高かったことも退屈さを助長しているように思う。というのも、それ以降クライマックスまで恐怖演出は全くと言っていいほどなく、恐怖演出への期待を持ちながら見続けても、その期待は満たされることがない。「幽霊より怖いのは人間である」とラストにわざわざ2回言わせることからも、本作に恐怖演出を求めることが趣旨違いなのは理解できるし、心霊と擬似心霊の明確な差を設けることで幽霊と人間の対比を強調しようした意図もわかるのだけれど、冒頭のクオリティが高かったためにもう少し散りばめて欲しかったのが正直なところ。

辰市を待っているところに、その辰市がやって来るという、何ら不思議のない状況にも関わらず、それがあたかも日常から乖離しているような異様さを充満させてしまう段取りのうまさが光っている。一両があるための頽落的な菊次とコウの会話を引きのショットで闇の中に埋没させ、闇への接近や事物の揺れの後に按摩にクロース。最低限にも関わらず、それまでの日常性から急激に後退していくかのような変化を際立たせている。この後の辰市の療治は先ほどの菊次とコウの会話とは位置関係を左右反転させていることも、辰市の思いが頽落的なものとは対極に位置するものだということを印象付けている。良くある幽霊像とは違い、死の先駆け的というか、死を意識した上での本来的な自己そのものの表出であったのでしょう。

その後も境界線とその開かれた脆弱性を意識させる菊次ととくのいちとの会話や、竹を手前に置き開かれた扉や襖の奥に菊次を配置するショット等、感銘を受けるものはあったのだけど、その比率は少なかったように思う。特に竹を手前に…のショットは、セザンヌとかに見られる安定構図ながら幾重にも重なるレイヤーの奥に菊次を配置している以上、それを裏付けるような菊次の深淵をその後に予感させるのだけど、特に何かがあったようには思えないのも残念に感じた。


書き殴ってるだけなのでコメント等スルーお願いします🙏
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