shibamike

ロビンソンの庭のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

ロビンソンの庭(1987年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

雨が上がれば、日はまた昇る。
日が昇るために、雨が全部洗い流さんとアカン。


ロビンソンの庭。
ブッとんだパンク女クミが見えざる巨大な何かによって突き動かされた、という話に思えた。
冒頭の不思議な住宅街のシーンはクミに対する非日常世界への洗礼?
 クミは酔っぱらった流れであれよあれよと、とある広大な廃墟にたどり着くが、実際は吸い寄せられていたか。
 クミはその廃墟を自身の理想郷とするべく、DIY生活をおっ始める。ガーエーではその始まりから終わりまでが描かれる。
 自然を多用した夏頃のシーンが多いので、映画では蚊の刺されに対してのフォローも描かれる。ガーエーでは、蚊🦟の刺されには"キンカン"という医薬部外品が重用されていたが、自分は生まれてこの方ムヒしか使ったことがないので、「キンカンというのがあるのか…」と驚いた。
たけし「キンカン、この野郎!」
え?ウナコーワ?帰った帰った!


前作「闇のカーニバル」では都会の闇の部分をこれでもか!これでもか!もひとつおまけにこれでもか!という観ているこちらがゲボをこれでもか!これでもか!もひとつおまけにこれでもか!と吐きさうなくらい過剰に描いていたのが、本作では一転してスタジオジブリよろしく豊かな自然にフォーカスするということで、結局反逆とか反抗とか闇とかいうものばかりでは、人間疲れてしまうということであるよね。
 これは若い時だけ暴走族をやったりパンクに熱をあげるというのも同じであらう。持久力が続かない。そして、地球がそれを許してくれない。
 主人公が同じ女優だし、役名も一緒?なので、なんとなく本作は闇のカーニバルの続編という気もする。


クミは理想郷を拵えるにあたり、事前準備として、「アホでもわかる家庭菜園」という背表紙タイトルだけで観ているこちらが泣けてきて仕方ないやうなハウツー本を難しさうな顔をして読む(この時点でもう無理ですわな)。いざ広大な廃墟に住み着き、自身の食料源としてキャベツ畑を作り、キャベツの栽培を始める。
 今、この広い東京の空の下、人知れず「キャベツババア」が誕生した瞬間であった。キャベツババア爆誕!ルギア爆誕!
 アホでもわかる家庭菜園、から得られた知識しか手持ちの武器がないので、勇敢なクミはキャベツただそれだけを栽培し、そして律儀にそれだけを食って糊口をしのぐ。
 昔、フジテレビにて「志村けんのだいじょぶだぁ」のコントで志村けんがかぐや姫の代表曲"赤ちょうちん"の「キャベツばかりをかじってた」の一節をBGMとしてリピート使用し、ひたすらキャベツを貪り続ける、なるコントがあったと記憶しているが、我らの勇敢なクミはコントではなく実地でキャベツばかり己の生存のために貪り食らうのであった。キャベツババアのウンコはきっとキャベツ色!
南こうせつ「おでんをぉおーーー!
たくさんーーーー!
買いぃいーーーー!
ましたぁあーーーっ!!(絶叫)」
豊嶋悠輔「ツンツンッ!」


案の定というか、ほれ見たことか、とこちらが言うまでもなくクミは体調を崩す。絶対に体調を崩すな!という方が土台無理なのでこれは仕方ない。キャベツばかり食ってんだもん。周囲の友人というか狂った変人達もクミのロビンソン・クルーソー生活に愛想を尽かし、いつの間にかクミの元から去る。
クミの元に残ったのは近所のクソガキ一匹であった。
 以前から、自分は日本映画で一番のクソガキは「狂い咲きサンダーロード」の終盤に登場するクスリの売人?みたいなクソガキが邦画界1位のクソガキと勝手に思い込んでいたが、本作のクソガキもなかなかだうして素晴らしいクソガキであった(小津映画のイサムもクソガキポイント高し)。
 頭を容赦なくぶん殴っても殴ったこっちにまとまった金額が口座に振り込まれさうな憎ったらしいクソガキではあるものの、クミがクソガキの人形にマヨネーズぶちまけたシーンは流石にクソガキを不憫に思った。

主演の太田久美子。相変わらず根性が半端ない。マジで凄い。終盤にチャリで道路を爆走するシーンは観ているこちらが本気で心配するレベルであった。撮影と称した女優への虐待であるよ、もはや。死ぬぜ!

暮らしぶりが行き詰まり、クミは自身の原点?なのか祖父との記憶に耽る。シットリとした夜空の下、少女だったクミが祖父と語り合うシーンがあり、その会話の内容がとても重要さうなのだけれど、何話してんのかさっっっぱり聞き取れなかった。一っっっ言もマジで聞き取れなかった。
 その後、クミはかっぽれ踊り?に全身全霊を傾けるのだけど、ここいらは見えざる巨大な何かに対する儀式だったのかなと無理矢理想像。

自分は、本作におけるクミの一連の行動は見えざる巨大な何かによる導きによるものと思ったが、それにしてはクミへの仕打ち酷くね?と思った。そっちで勝手にクミのこと覚醒させといて、クミがいくら底抜けにアンポンタンやからって、むざむざ見殺しにすんのかい感じ悪ぅう、という印象である。
 と自分は思ったが、ふと以前読んだ本にあった、「人生から何を与えられるかではなく、人生に何を与えられるかを考えるべきだ」みたいな言葉を思い出した。
 クミは人生に何も期待していなかったのではなからうか。クミ自身が自発的に人生に働きかけていたやうに思える。

この映画のキーワードは「自然」のやうに見受ける。自分はこの映画を観て、結局この世の中というのは自然というものが支配者に過ぎないのではないだらうかと思った。どんだけ人間同士で「俺のほうが偉い」、「私の方が幸せ」、「俺のチンポコの方がデカい」、「私のマンポコの方が締まりが良い」と威張り合ったところで、結局自然という舞台・環境・場があってのことである。博打で言えば、自然が胴元である。だう転んでもこの世界は自然が勝つやうに仕組まれている。
 我々は胴元が開くこの遊技場で各々精一杯遊ばせて貰うだけなのではなからうか。
バースデー誕生日♪地球の生まれた日♪
バースデー誕生日♪年中がクリスマス♪


出演者のクレジットを上映前に見て、「横山SAKEVI」とあり、自分は緊張した。横山SAKEVIと言えば、G.I.S.M.である。当然知り合いでも何でもないのであるが、昔、地元のオーストラ…四国に住んでいた頃に行っていた中古レコード屋の店長(若い頃、東京でバンドしていたらしい)から「G.I.S.M.はホンマに怖いからな。G.I.S.M.の海賊盤かなんかを無断で販売したどこかの事務所をメンバーが襲撃して、謝罪文を雑誌に出させたりしとる。」かなんかさういう本当かだうかよくわからない話を聞かされて以来、自分はオーストラ…四国の片隅でG.I.S.M.を恐れ続けてきた(バンドマンでも何でもないのに…)。
 どんな人なのかと思うも、意外と出演シーン見逃したりして…とか思っていたが、いざ映画観てみるとどっからだう見てもゼッテェこの人に違ぇねえわ、という登場の仕方をしており、自分の心配は盛大な杞憂に終わった。
 時代は違うだらうけど昔はたけし軍団のフライデー襲撃然り、事務所襲撃がもっと身近なものだったのかもね♪キュルルン♪



「闇のカーニバル」の世界では鮮やかなのは人間から流れ出る血の赤さであった(モノクロだったけど)。んが、「ロビンソンの庭」の世界では鮮やかなのは木の緑や光の眩しさ空の青さであった。
クミの理想郷は緑に呑み込まれたし、誰もクミの一生のことなんて気にも留めずみんなそれぞれ自身の日常をせせこましく生きて行くだけである。
 そんなクミに相応しい歌が1つだけあり、ガーエーはその歌で終わる。
喜納昌吉&チャンプルーズの「すべての人の心に花を」。

南柴三毛「おでんをぉおーーー!
たくさんーーーー!
つつきいぃいーーーー!
ましたぁあーーーっ!!(絶叫)」
豊嶋悠輔「ツンツンッ!」



庭三毛 心の一句
「庭に出て ガーデニングが したいかな」
(季語:ガーデニング→オシャレ→秋)
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