やっと観れました。山本政志監督作品。
バブル期に作られた映画にしては反バブル的な側面を持った幻視映画になっている。
色々メタファー解釈可能な映像で、そこにあるはずのものが無い、逆に無かったものがそこにある、という風なアウフヘーベンを重ねる毎にスリリングな感興を呼ぶ。
文明と自然との対比や存在と非存在、大人と子供、ナショナルとインターナショナルetc…が入り混じった極彩色豊かな香りのする摩訶不思議なアート作品で、主演の太田久美子や町田町蔵の「行為」そのものに殆ど意味はないのだが、これ自体が正しくバブル期の日本人の滑稽さなのだと監督自身がアジっているかのようである。
ラストの大樹木の長回し映像はマノエル・ド・オリヴェイラの『ノン、あるいは支配の虚しい栄光』の冒頭とかなりダブる。やはり人間の存在など自然からして見ればショボいものだと本作を観て実感した。「ここではないどこか」を志向する現代人にとっては聖典のような作品になってる。
映画全体を通して暗くエンタメ度は薄いが80年代ニューウェイヴ・ロック好きには堪らないJAGATARAによる音楽や、町田町蔵の怪演は大いに見もの。その無国籍的な感覚は近年の空族の作る政治映画(『バンコク・ナイツ』等)やアピチャッポン・ウィーラセタクンの『ブンミおじさんの森』のような不条理作品にも通じるものもある。
恐らく世界進出を配慮して無理やり「アジアン・テイスト」を引き出した所以もあるのだろうが…。まあ、とにかくこの傑作をいまの時代に蘇らせる意義は大いにある。必見じゃよー!😄