風に立つライオン

砂の器の風に立つライオンのネタバレレビュー・内容・結末

砂の器(1974年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

1974年制作、野村芳太郎監督、橋本忍、山田洋次脚本による人間ドラマの名作である。

 久々に鑑賞したがいよいよ橋本忍の凄さを思い知る。
 橋本忍がその前年自らの「橋本プロダクション」を設立したのは、映画産業が斜陽期に入り何かと映画制作が安易で制約の多い時代を迎えていた中で本当にいい映画を作っていきたいとの思惑からであった。
 そして10年前からお蔵入りとなっていた本編を第1作目として世に送り出すことになる。
 原作者の松本清張氏がこの映画をして原作を凌駕する感動の人間ドラマに昇華した傑作と評するものとなった。

 橋本忍は日本史上最高の脚本家であることは間違いない。
 小料理屋に生まれ芝居好きで興行師であった父親のDNAが根底にある。
 青年期に結核に罹り、兵役を免除されることにより病床でシナリオ作成に目覚める。
 その後伊丹万作に師事する。そしてサラリーマン時代に芥川龍之介の「藪の中」を脚色、それが黒澤明の目に止まり長編化の依頼を受け「羅生門」が完成。それが見事ヴェネチア国際映画祭グランプリに輝く。
 その後、黒澤明と「生きる」、「七人の侍」を手掛け、他に「張込み」「切腹」「上意討ち」「八甲田山」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」など名作を生み出していくこととなる。
 彼の作風は山田洋次監督も言っているが重厚な切れ味のある人間ドラマの構築に特徴がある。そして黒澤やヒッチコックなどが忌み嫌う回想を多用するところに大きな特徴があると言っていい。二人の巨匠は「回想は映画の流れを止めてしまう。映画というのは前にがんがん進むものだ」という捉え方で共通しているが、橋本は回想を大幅に取り入れたシナリオ作りを厭わない。にもかかわらず流れを止めず面白味を損なわない脚色構築に優れている。それは自らも分析しているが伏線の精緻な時系列配置とそれに呼応した合理性ある回収の埋め込み、そしてそれらをエッジの効いた筆運びの腕力と好きな競輪で培った最後のまくり一発を噛ませる事により物語が俄然精彩を放って輝き出す。
 傑作たる「切腹」などは半分以上が回想で占められ、回想の中で張り巡らされた伏線が本編終盤にまくり一発でカタルシスを伴って回収される。黒澤明が嫌がった回想をあの「生きる」では後半のほとんどを占めているが、志村喬がどう生き抜いて夜の公園のブランコに座わり「ゴンドラの唄」を歌い始めたかを感動を以って回収している。黒澤の映画は得てして黒澤への称賛に終始するが橋本でなければ出来ない技であったことを考えればもう少しスポットライトが当たってもいいだろう。(by「鬼の筆」)
 
 この「砂の器」に於いては時間的差異を多用しながら進行していてクリストファー・ノーランのような趣がある。
 前半は刑事達の捜査模様が描かれるが、その地道でリアルな様は映画「天国と地獄」にも共通している。元来橋本は「張込み」制作時にも清張と捜査手法を取材しに警視庁に出向いてリアリズムを追求している。決して刑事がレイバンのサングラスをかけヘリから機関銃やバズーカを放ったりはしない。
 そして橋本が最も心血を注いだのは終盤にかけての「父子の旅」であった。原作では加藤嘉演じる本浦千代吉と息子秀夫の全国を巡るお遍路行脚の旅は彼ら二人にしかわからないものであったというたった2行だけの表現で終わっている。
 これを映像化し日本の原風景をバックに彼らの艱難辛苦の旅模様を得意の回想として織り込もうと考えたのである。
 そして一気に真相を掴んだ今西刑事(丹波哲郎)の合同捜査会議での語りと栄光の頂点に立つ犯人の和賀英良(加藤剛)のコンサート模様と彼らの回想による「父子の旅」を交錯させながら一気にまくり一発で観客を感動の頂点に持って行くのである。
 こうした構築力は橋本の筆の腕力よるものであり他の追随を許さないように思う。
 この「父子の旅」ではハンセン病に罹った父千代吉が息子共々お遍路の格好とは言え実態は当時普通にいたいわゆる乞食の彷徨を描き、それらへの差別を盛り込むことによって社会風土への批判をも根底に滲ませている。

 久々に鑑賞する中で個人的には何点かは無理な脚色も感じ取れる。
 和賀が恩義のある心優しい三木(緒方拳)を何故殺害までしてしまうのか?いくら栄光の座が目の前にあり、それを掴み取る最大のチャンスの妨害になるとは言え、そうしたことが千代吉が生きていることにし、生い先短い中、執拗に千代吉に会ってやれと和賀に迫る三木を殺すまでの動機になり得るのか。
 捜査段階で今西の部下森田健作演ずる吉村刑事が列車の窓から紙吹雪を撒いた女性がいるという新聞コラムに目をつけ、もしや返り血を浴びた白いスポーツシャツを刻んで撒き、証拠隠滅を図ったのではという流れはあまりに飛躍的で偶然性が強すぎる感がある。
 とまあ、あまり細部に拘ると面白味も半減するが全体としての面白さは特筆すべきものがあることは確かだと思っている。

 何か栄光の頂点にあるインテリ犯人を追い詰めていく刑事コロンボを彷彿とさせるが、犯人のバックグラウンドや境遇を盛り込んだ大型紀行型人間ドラマとなっているところに人を惹きつけて止まないものがあるのかもしれない。

 そしてこのようにじっくりと時間をかけ旨みの染み込んだ煮込み料理のような映画はなかなかお目にかかれなくなったとつくづく感ずる昨今ではある。