どこかの閣下かと見間違えるほど、人を蝋人形みたいに操るその男は、小暮ではなく若干30歳(当時)のシュミットでした。なんと、10000歳以上若いんですねこれが。
いや〜、これはニヤニヤがとまらんね笑
一日だけ召使たちが主人たちに労ってもらえるという設定からしてすでに優しさを感じますが、特にその一日だけという設定がベタながらもやはり非日常を感じさせてよい、いや良い。
歴史的な階級の話はもはやここではミスリードで、一晩を除いて1年中栄華を極める主人たちと、一晩限りの喜びを噛み締めて主人に使える召使たちが、20世紀になってもなお城に留まり続けていることが最早嬉しいことです。悔いなどはなく、思い出に浸るためにゆっくりと成仏していっているんだろうかと、あの青白い顔を見て思いました。21世紀の今でもなお躍っていて欲しいですね。
そもそも16世紀の話を20世紀に完璧に再現できないから、16世紀の霊たちを20世紀に降ろしたように演出したところは素晴らしかったです。もちろんそんな意図があるかは知りませんが。
本作と同じ題の歌から幕が上がり、最後その歌が小さく流れて幕が閉じる時、純粋に終わってほしくないというこの気持ちはなんだろう。谷川俊太郎じゃないけど。まるでディズニーランド帰りの舞浜駅でジッパディードゥーダーが流れた時の寂寥感であります。はい、この映画はディズニーランドです。こんな最高の非日常的エンターテイメントなのに、玄人向けの意味不明映画として処理されそうで悲しいです。
まあ人には間違っても勧められない映画ではあるので、個人的なフェチズムとして処理することにします。
でもやっぱりこの考えより先に心が躍っていく感覚が快感なんですよね。「目覚めたければ眠れ」というウェス・アンダーソンに足りなかったのはこの夢心地ではなかっただろうかと、昨日観た「アステロイド・シティ」と比べて思いました。
あとやっぱりこの界隈の監督は本当に役者の顔選びがうますぎます。凍りついた顔の中に確実に歴史を感じられたのはそのためかと思います。