このレビューはネタバレを含みます
9.11を一つの悲劇として映像にするまでにやはり年月は必要だったのだろう。少しづつ時間を積み重ねながら、あの衝撃の後の世界を描くものが増えてきているのだろう。
この映画もまた、9.11によって父親を失った息子が、その悲劇をどう乗り越えるかを描いている。
物語は、その最悪の日から一年後、息子が父親の部屋に入るところから大きく動き出す。父親のカメラを手に入れようとクローゼットの上の棚から引っ張り出したところ、青い花瓶から封筒に入った鍵が見つかる。
父親と息子は、ニューヨークにかつてあった第六地区を探す遊び、真剣な調査を行なっていた。そして、計画して探せば必ず見つかるという信念を育てていた。
その思い出を支えに息子は、この鍵の持ち主を見つけようと誓う。
それが、父親を失った後の世界ではなく、まだ父親とともにいるような感覚この世界をで生きられる方法だったからだ。
彼はこのようなことを呟く。
太陽が爆発しても、8分間は地球上の人間はそれに気づかない。この一年で、この八分間が終わるような気がしていた。鍵穴を探すことで、この八分間を伸ばせる気がした、と。
彼は、鍵という父親のメッセージを探し続けることが、父親とともに過ごした時間を延長することだと信じて、鍵探しを開始する。
おそらく、誰にでも伸ばしたい8分間は訪れる。そして、悲しいけれども、8分後の世界もまた必ず訪れる。
私たちは、悲しみを目の前にして、8分を伸ばそうと足掻きながら、その闇雲な中でいつしか8分後の世界の受け入れる姿勢を整えていく。
それは、絶望の色をしている。巻き戻せない時間、喪失した世界、理由も意味もない悲劇。その後に人生なんていらないと思うかもしれないが、それは確かにある。それを乗り越えるのは、悪あがきした時間であり、親しい人との共有であり、自分一人ではないと気づくことである。
それがどれだけ難しいことかは、息子の必死さをみていれば十分に伝わってくる。そして、鍵を託すのがどれだけ辛かったかも。また、鍵を託さなければ進めないことも。
結局、彼も私たちもあの鍵が開けたものが何かは知らされない。でも、人生とはきっとそういうものだ。
鍵と鍵穴が常にセットで、物事に理由が存在して、全てがペアになっているとは限らない。だからこそ、どこかであの鍵が開いたと信じることが必要なんだろう。
何がではなく、開いたと信じる瞬間こそが。
もう一つ、彼に必要なことは、贖罪だったことも大きなポイントだろう。
最悪の日、父親からの呼びかけに応えられなかった。あまりにも恐ろしくて、出ることができなかった電話。父親が繰り返す、Are you there?それに応えられなかった自分が許されないと自分を罰し続けてきた。
しかし、それを人に話すことで、許すと言ってもらえたことで、父親のいない世界に踏み出す準備ができたのだろう。
後悔は消えないが、許されることはできる。誰かと共有することはできるから。