「2011年の夏。この日本の、新潟県長岡市への旅で、私が体験したものは、なるほど、まるで夢のような不思議な出来事ばかりでありました」
新聞記者の松雪泰子目線でさまざまなインタビューが行われ、戦時中と現在の時間軸を行き来しながら、長岡市を舞台に戦争と震災の話が紡がれる。
開始15分で情報量の洪水が起きるので最初はビビるが、なんか次第にエモい気持ちになっていく映画。ちょくちょく登場人物がカメラに向かって語りかけてくる。久石譲の音楽と夏の景色が合いすぎ。
最後の花火のシーンは不思議なカタルシスがある。美しい夜空、そして反戦と平和の祈り。
観ると長岡花火が打ち上げられる意味がわかり、長岡市に行きたくなる。
以下、セリフメモ。
≪みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな。≫──山下清
「別れた、というより、突然私が消えたのだ」
「痛いな!この雨痛いな!」
「模擬…!?原子爆弾の!?」
「ファットマンってご存知ですか?この長岡に落とされたのも、長崎の時と同じ型の原子爆弾でした。中身だけは普通の爆弾と同じでね」
「この辺りじゃまだ戦争が終わってないんですよ」
≪戦争はまだ終わっていない。畑の中から、今でも焼夷弾が掘り出されてくる、長岡。≫
「戦争が激しくなって、長岡の花火は、出征兵士を見送る花火となった」
「戦災と自然災害の両方を体験した長岡の新聞記者として、私、本気で戦争のことを、今こそ考えてみようって思ったんです」
「母さんが長崎で被爆したのっていくつの時やったと?」
「13の時よ。この踊り(牛深ハイヤ踊り)ば踊れるってことは、幸せってことたい。だからずっと、踊りつづけるよ」
「私のお婆ちゃんは長崎の原爆で死にました。私は…被爆二世です」
「人が人にやれる最も残酷なことは、想像力を奪ってしまうことだ!」
「優しさ、労りとは、他人に対する想像力。それが無くなると、恐ろしい…」
「ピース…。Vサインは、勝った国の平和なんですね」
「さぁ〜て!いよいよ8月1日、長岡花火の打ち上げだ!世界中の爆弾を花火に変えて、打ち上げるぞ!オー!!」
(花火当日が豪雨になり)「これが観光誘致のためのイベントならば、当然中止が延期だろう。しかし、長岡の花火は、死者を追悼し、平和を祈るメッセージなんだ。メッセージは世界に向かって発信し続けなければならない。どんなことがあっても、長岡の花火はまず打ち上げよう。長岡の花火は日本一の花火じゃない。世界一の花火だ!」
「長岡の花火は、美しく立派に育ったのう!」
「リョウ。私ね、一度失恋なんてしてみたかった」
「…バカ」
「そうね、ありがとう、ごめんね、さよなら」
≪会う時は、私から声をかけます。どうかあなたから、私に声をかけないで。私をそっとしておいてください。お願いします。でも、嬉しいです。≫
「私、長崎へ帰ります。それから、お母さんになります。勇気、リンリンです」
≪長岡市ではこの時期、学生交流団をハワイに派遣。真珠湾での70年式典に参加。今こそパールハーバーは、日米の和解と絆の象徴として、捉え直す場所である、と新潟日報は報じている。こうしていつの日か、パールハーバーのこの空に、祈りの花が、きっと、きっと咲きひらくことであろう。≫