ryosuke

アントニオ・ダス・モルテスのryosukeのレビュー・感想・評価

3.7
オープニング、逆再生のような妙な音声と銃声がミックスされる中、銃を携えた男が画面左側に歩いてフレームアウトしていく。銃声がうめき声に変わると、一人の男が代わりにフレームインしてくるが、彼は中々倒れずに延々苦しみ続けている。奇妙なオープニングが予告する通り、一筋縄ではいかない怪作だった。ハットを被った流れ者のガンマンが主人公である本作は西部劇と言ってよいものだろうが、それがシネマ・ノーヴォに、グラウベル・ローシャに取り込まれるとこんなことになってしまうのか。
以前見たローシャ作品「狂乱の大地」は手持ちカメラも活用した動的でエネルギッシュなカメラワークと目眩くカッティングが印象的だったが、本作は、それに比べると動きが緩やかな長回し主体で映像が構築されており、ローシャは一定のスタイルに安住する人ではなかったようだな。
岩肌を背景にカンガセイロのボスと黒人男性が会話をしているシーンで、彼らのセリフに、後ろに座っている民衆が歌っているのかすら不明瞭なものとして、低音でハミングのような歌が重なり続ける。この感覚は独特。主人公とカンガセイロの親玉がピンクのスカーフを咥えてぐるぐる回転しながら、主人公の重い一撃の連続で親玉の剣がひん曲がって行く決闘のシーンでも、パーカッションに合わせて民衆の歌が重なる。これらの歌は、爆発する時を待っている貧しき者のエネルギーが蠢いているのを感じさせる。
金持ちの男が自らの行いを慈善活動だとして恩着せがましく長演説をするのだが、カメラは話者(誰なのかすらよく分からない)に対しプイッと顔を背け、ゆらゆらと動いて貧しい民衆が食料に群がる様を映し出す。富める者、貧しき者への作り手の目線がカメラにも宿っている。
地主を中心としたブルジョワ階級の内輪揉めは徹底して馬鹿騒ぎとして描かれるのだが、これが凄いエネルギーだった。とめどなく怒りを露わにし続ける地主は、叫び続ける男と金髪の女を公衆の面前でキスさせようとする。すると、男は狂ったように銃を乱射し、二人は画面奥の扉に消えて行く。と思えば、扉から出てきた金髪の女は男を何度も何度も執拗に突き刺す。これは、決闘において主人公が剣の一撃をごくごく様式的に食らわせたのと対照的に描かれているように思う。
この傾向は続くシーンでも徹底しており、金髪の女が男の死体を引き摺って埋葬しようとするシーンでは、彼女が血塗れの死体に縋りついたと思えば、その死体の上で折り重なって別の男とキスをして、装飾の花が潰れていく。
地主に雇われた殺し屋集団は狂ったように狙いも定めず銃を乱射する。戦いではなく一方的な殺戮として描かれている。カットが変わった瞬間、民衆は死体の山と化しており、殺し屋はけたたましく笑い、死体を踏んづけて去って行く。ブルジョワサイドの徹底した悪魔化。
異常に騒がしい本作の中で、突如無音、無言となる瞬間、主人公とその連れはカメラ目線で長々とこちらを見つめる。どうやら、この奇妙な物語を人ごととして楽しむことは許されないようである。
殺し屋集団が地主を担いて延々行進する様を映し出す、歌に合わせた長い長い横移動撮影が最後の戦いを予告する。初めはくるくると回転する様式的な決闘だったところ、殺し屋が突如銃を用いることで、一貫して剣で戦ってきた主人公は遂に発砲する。多勢を相手にしても、どうやら神の御加護があるらしい主人公には一発も銃弾は当たらず、ひょいひょい飛び跳ねる主人公と教授の挙動は演舞のように見える。大袈裟に苦しんでバタバタ倒れていく敵の姿もどこか戯れのよう。満を持して登場した黒人男性が、ベストタイミングで馬に乗って走り来る姿は神話的な趣すらあり、重複編集によって地主は徹底的に串刺しにされていく。めでたしめでたし。
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