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エミリー・ローズのmanacのネタバレレビュー・内容・結末

エミリー・ローズ(2005年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

CGや特殊メイクに頼り過ぎずに、ひたすら自身の才能をフル活動させるジェニファー・カーペンターの演技は圧巻だった。
そこは文句なし。
ジェニファーのイナバウアーだけでも見る価値有り。


だがしかし。
やはり宗教は分からないんです。
悪魔の存在を巡って裁判とか、考えられる?

そして、最も難解なのがマリア様。
マリア様がエミリーに言うことが意味不明。セリフはわすれたけど、まとめるとこんな感じ。
①悪魔に取り憑かれたのは定め
②一緒に来たら苦しみから救われる
③苦しみ続ければ、人々は悪魔を信じる

いやもうね、①からしてどうなのよ?
そこ定めにしちゃっていいのかな?
そこ救ってくれるのが神じゃないんですか?
仮に人々がエミリーのお陰で(?)で悪魔の存在を信じたとしても、このままエミリーが死んだら、「人間が悪魔に取り憑かれても神はただ見てるだけ」というのが証明されるだけだと思うのですけれど。
あれですかね?やたら人間が「お守りください」とか「お救いください」とか言うからイヤになっちゃったのかな?自分のことは自分でやってよ、もうムリーという主張だったのでしょうか?

そして②ですけど、これ、要は死ぬってことですから。
例えていうなら、「心臓一発で撃ち抜かれて即死するのと、生きたまま身体を切り刻まれながら死ぬの、どっちでも好きな方選んでもいいよ」と言われてるようなもんです。
どっちも嫌ですよ、そんなの。そんな選択肢ないです。
この選択肢のどこに慈悲があるのでしょう?
見ず知らずの人に連れ去られてこんなこと言われたら、大体の人が「こいつイカれてる。猛烈ヤバイ」と思うはずの事を、マリア様がいうと受け入れられてしまう、恐るべし宗教。

最後に③、これもツッコミだらけでどこから突っ込めばいいのか分かりませんけど。
そうですね、まずそれで信じるかどうかは置いておいて、他に方法なかったのかな?
そもそもヒトをここまで追い込んでまで、悪魔の存在知らないとダメなのかな?
なんでそんなに信じて欲しいの?

信じさせる必要があるあったとして、信じさせる為にエミリーが悪魔憑きになる必要があったとして、では何故神父に悪魔払いをさせたのでしょうか?
「定め」と言うからには神の意思取り憑いた訳ではないにしても、それを取り払うことは神の意思に背いているような気がします。
エミリーの夢に出る前に、神父の夢に出てくるべきでしょう。
更に、裁判で証言する予定の医師が命を落とす事になってもガン無視。
マリア様はエミリーの夢に出てきた以外は傍観を貫いている。

神父か裁判で負ければ悪魔は存在しなかったことになるのに、マリア様はそれでも良かったのでしょうか?
エクソシスト裁判が起こり、世間が悪魔の存在について考える機会が出来ればそれで良しとしたのか?



マリア様が何をお考えなのか全く意図が掴めずにスッキリしません。
この辺りを説明してくれる解説があったらぜひ読みたいです。
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