イホウジン

マトリックスのイホウジンのレビュー・感想・評価

マトリックス(1999年製作の映画)
3.9
ハッキング=システム化された世界への能動的な関与

いま目に見えている世界を虚構として全否定するという、非常に革新的で野心的な映画であることに間違いはないだろう。確かにCGを多用した映像も素晴らしいが、それ以上に映画前半にネオが世界の真実を知るまでの過程の描かれ方が見事としか言いようがない。既存のシステムによる抑圧という、現代社会にも蔓延するこの課題を、「マトリックス」という存在を通して可視化しSFへと昇華させているからだ。
主人公は序盤、執拗なまでに選択を迫られる。既存の世界に-後に知るマトリックスの世界に-順応し続ける“トーマス”として生きるのか、それとも世界にハッキングを仕掛け自らの選択で進路を見定めようとする“ネオ”として生きるのか。このように書いてみると、今作の問いかけは決して現実離れしたものではなく、むしろアイデンティティの主体的選択という近代に普遍的なものであることが分かる。そして後者のネオとして生きる選択をした主人公は、真実の世界へ人間を解放するために、自由をかけた闘いに挑むことになるのである。さながら独裁国家で展開される革命ゲリラの活動だ。
ネオの修行編あたりから、この映画はミステリアスなSFから少年ジャンプ的なアクションへと一気に作風を変える。例の銃弾を避けるシーン然り、スミスとの戦闘のパート然り、このワクワク感が今作を後世にまで親しまれるきっかけになったのだろう。正直前半のノリが終盤まで続くと、対象年齢はかなり上がっていたのではないだろうか。
とはいえ終盤のネオの覚醒は、前半から続く問いに対するひとつの着地点を提示する。まさに彼は世界をハッキングし、我がものとしてマトリックスを操作することができるようになったからだ。単に黒服を力で打ち負かすのではなく、その像を作り出しているマトリックスのシステムそのものに打ち勝つ様が、今作における勝利という意味の特有さを表現しているように見える。中盤で一部の登場人物がマトリックスに回帰しようとするシーンがあるが、彼は現実とマトリックスとの間のギャップに対して、どちらかを選択するのではなく、自らの意思をもって虚構の側を改変することでこの揺らぎを克服したと考えることができよう。

(レザレクションズ鑑賞後追記)
アクションシーンは確かに面白いが、この映画の本質にはあまり関係がないと感じていた身としては、その違和感を監督も幾分か共有していたようで、少し嬉しかった。
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