Masuo

キング・コングのMasuoのネタバレレビュー・内容・結末

キング・コング(2005年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

ツッコミどころ満載やったけど泣いた。

フェミニズムに関する、ヴィルジニー・デパントの『キングコング・セオリー』という本を読んでいて、その中でこの映画の考察があったので、興味を持ったから観てみた。

以下、本から引用。でも映画に関することめちゃ長く書かれてるからかなり一部のみ抜粋。以下の文読む前にあらすじ読んだ方がわかりやすいかも。
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この映画のキングコングには、ペニスも睾丸も乳房もない。キングコングの性別が特定できる場面はひとつもない。(中略)この生き物は草食の思索家で、ユーモアのセンスがあり、力を見せつけたがる。コングと金髪の女が性的に誘惑し合う場面はまったくない。美女と野獣は仲良くなり、守り合い、慈しみ合う。だが、性的なやり方ではない。
島にはオスともメスともつかない生物がたくさんいる。ねばねばした触手をもつ巨大イモムシは、ピンク色のぬめぬめした女性器を思わせる。亀頭のような頭部をした幼虫は口を開けると歯の生えた膣のようになり、島に上陸した男たちの頭を噛み切る。(中略)
男女の性別を今のように区別しなくてはならなくなったのは、19世紀末だ。映画に登場するキングコングは、そうしたかたちで男女の性別が分けられる以前の性のあり方を表している。(中略)映画の島は多様な、きわめて強力なセクシュアリティの可能性を示している。まさにそれが、この映画作品がとらえ、提示し、歪曲し、最後に滅ぼそうとしたものだ。
男が探しに来たとき、金髪の女はついて行くのをためらった。彼は彼女を救って、超規範化された異性愛の世界である街へ連れていこうとした。(中略)彼女は男についていくことにした。男はもともと安全だった場所から彼女を「救い出し」、街に連れ戻す。だが、そこで彼女はふたたび、全方位からの脅威にさらされる。自分が利用されたことに気づいたとき、彼女の目がスローモーションで大写しになる。彼女は、あの獣ーーひょっとするとメスの獣ーーを捕獲するためにいいように使われていた。(中略)
(かなり中略)
彼女は男たちがキングコングを連れていくことも、殺すことも止められなかった。そして、もっとも自分を欲してくれて、強い意思をもった、いちばん自分にふさわしい男の庇護のもとに身を置くことにした。そうして、自分自身がもつ力から切り離されたのだ。これが現代社会の姿である。
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この本読まなかったら、ジェンダー、フェミニズムという視点でこの作品を見られなかったと思う。が、本の著者が書いている考察が深すぎ?て、映画のほうがついていってないような気がしてしまったのが難。

とりあえず映画としては、ツッコミどころ多すぎたのと、CGとの合わせ方が不思議すぎたのと(とはいえピータージャクソン監督やから許せる笑)(まぁ2005年やしな)、あとこれは意図的だろうけど、ニューヨークでの見世物シーンはかなり反吐が出る。反吐が出るけど、それが現実なんだろうなと思った。映画作品だからわかりやすく誇張してるだけで、人間の傲慢さとか愚かさについては、あれが現実だわきっと。だからその点の描写はよかった。

フェミニズム観点からの映画の感想は保留。むしろこのレビュー読んでくれた方で、『キングコング・セオリー』に興味持った方がいたらそっちを読んでほしい。笑 最近よく言われているジェンダー関連の表面的な(のように思える)アプローチよりかなり深いので。


あ、あとエイドリアン・ブロディがかっこよかった。
Masuo

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