ジミーT

悪魔の手毬唄のジミーTのレビュー・感想・評価

悪魔の手毬唄(1977年製作の映画)
5.0
この映画で感動的だったのは、市川崑監修のテレビドラマ「木枯し紋次郎」(注)へのセルフ・オマージュとなっていたことです。
季節と舞台を冬枯れの寒村としたこともあるかもしれませんが、金田一耕助を木枯し紋次郎として描いたことは大正解でした。金田一耕助は何よりも漂泊のヒーローなんです。

この映画は芥川隆行の名ナレーション「天涯孤独の紋次郎がなぜ無宿渡世の道に入ったかは定かではない」をそのまま「天涯孤独の金田一耕助がなぜ探偵稼業の道に入ったかは定かではない」と言い換えてもおかしくないように描写されています。
煮染めたような道中合羽と破れた三度笠をマントとお釜帽に替える。バッと走る時、仙人峠を越えて行く時、金田一耕助が中村敦夫の木枯し紋次郎の姿とオーバーラップしてしまいます。湯治場・亀の湯に至っては「木枯し紋次郎」第2話「地蔵峠の雨に消える」と同じ家で撮影されている。たぶん、です。違ったらすみません。
本当に、本作の音を消して「木枯し紋次郎」オリジナル・サウンドトラックを合わせてみるとよくわかります。

金田一耕助を演じた石坂浩二さんは「監督は金田一耕助を神か天使のように考えている」と言っていましたが、それは私には「漂泊のヒーロー」と言っているように思えます。それこそが金田一耕助の大魅力であり、それが一番際立っていたのが本作で、金田一耕助映画の最高峰であると信じます。
市川崑監督の金田一耕助シリーズは名作揃いですが、ここでは金田一耕助を木枯し紋次郎として描写することによって、「漂泊のヒーロー」としての金田一耕助本来の魅力を引き出すことに成功していると思います。
しかもラストでは磯川警部と、必要経費と礼金とのやりとりをめぐる描写を入れ、「金田一耕助もこちらと同じ空気を吸ってる」と感じさせる周到さです。

横溝正史の原作「本陣殺人事件」「獄門島」「八つ墓村」「夜歩く」「犬神家の一族」「仮面舞踏会」そして「悪魔の手毬唄」などなどの名作群では、田園風景の中に金田一耕助がどこからともなく現れて事件の真相を語り、また去ってゆく。最初に読んだ時、反射的に「木枯し紋次郎」を連想したものです。
東京に居を移して事務所を構えてからの金田一耕助はなんとなく精彩を欠いています。もちろん「悪魔が来りて笛を吹く」や「黒猫亭事件」、「白と黒」や短編集「金田一耕助の冒険」のような名作もある。だけど全体的に金田一耕助は何となく精彩を欠いています。東京を舞台にした大作「病院坂の首縊りの家」を最後に金田一耕助はまたいずこともなく姿を消す。それも無理からぬことだったのだと思います。

70年代を切り取る切り口はいくつもあるとは思いますが、そのひとつの切り口が「旅」。特に「さすらいの旅」。
横溝正史の旧作・金田一耕助シリーズが70年代に大リバイバルの大ブレイクしたのもその「さすらいの旅」というキーワードに触れた故・・・なのかもしれません。
この映画はそれを「木枯し紋次郎」というキーワードで見事に捉えていた・・・と思います。「木枯し紋次郎」が遠い昔になった今、理解されるかどうかわからないのですが・・・。

注1
1971〜72年、笹沢左保原作、市川崑が監修のテレビドラマ(ほとんど映画)「市川崑劇場 木枯し紋次郎」というシリーズがありました。これはいわゆる社会現象を起こすほどの大ヒット。
すみません。50代以下の方にはわかりづらいかもしれやせん。おっしゃりたいことはよくわかりやすが、先を急いでおりやすんで。ごめんなすって。

追伸
というわけでこのDVDのジャケット写真はあんまりだなあ。やはりここは仙人峠を歩く金田一耕助をロング・ショットでとらえた写真にしてほしかった。

参考資料

「市川崑と『犬神家の一族』」
春日太一・著
2015年
(株)新潮社
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