雨宮はな

修道女の雨宮はなのレビュー・感想・評価

修道女(1966年製作の映画)
4.0
“理不尽”に殺された美人尼さんのお話。
女は女を守らない。男は女の敵だけど、女は女の大敵だ。

主人公を害する修道者たちはいったいどんな道を修めてるんだか。
上映禁止になったことが「こんな事実はあります」と証言しているようなものだ。
「史実ではない」「創作小説にモデルがいる」としているけれど、これはたくさんの人の被害をまとめて証言した作品なのだと思う。
白雪姫よろしく“美しさは罪”として、理不尽を背負わされるのがまた何とも言えない。

主人公をみていると純粋であることの危うさがよくわかる。
中途半端な賢さが身を亡ぼすという事も。
これを言っちゃおしまいだけど、主人公が苦労したのは最初から最後まで母親のせいなんだよなぁ。
自分が不倫しといて「私を苦しめないで」「あなたの存在が後悔なの」なんて言う人間を、神様はお救いにならないとおもいまーす。
最初の修道院で精神的・身体的暴力を奮っていた新院長も、次の修道院で無理やりレズビアンに引っ張り込もうとした院長も天国にはいけないだろうけど、母親だけは「地獄に落ちろ」と思うし、落ちると思う。

自分を守るための知識も道具もないなかで、味方も得られずに生きていくことは不可能だ。
村の女たちの言い草に、せっかく抜け出した修道院にまだ閉じ込められていることに気づいた時の絶望はこちらにも伝わってくる。
知られない、信じてもらえない孤独はきついなぁ。
実際に命を取られるかは別として、現代社会でも似たようなことは未だによくある話。

「おおお」「あああ」ジタバタ、ウウッ、タタタタッ(走り去る)
な感じの、むかーしの舞台のような大げさな演技にまるで見分けがつかない。
修道院のセットや主役の美しさで気にするなってことなのかもしれない。
雨宮はな

雨宮はな