ワンコ

サクリファイスのワンコのレビュー・感想・評価

サクリファイス(1986年製作の映画)
4.5
【タルコフスキー/今の世界】

このサクリファイスは切ない。

タルコフスキーが、この作品の公開後まもなく、亡くなったこともある。

この3年前に公開された「ノスタルジア」の後、彼は亡命している。

この「サクリファイス」は、作品の中で、タルコフスキーの人生を、肯定も否定もすることなく淡々とつづっているように思える。

要所要所で鳴り響く尺八の音。

揺れ動くタルコフスキーの心を表しているようだ。

枯れ木に3年間水をやり続けた僧のエピソードでは日本の植木のことも語られ、タルコフスキーの日本好きも感じられる。

ソ連に生まれ、絶滅戦争と呼ばれた独ソ戦(「僕の村は戦場だった」)を経て、共産主義国家としての希望もあったはずだ(「ローラーとヴァイオリン」)。

しかし、共産主義や世界と、個人の価値観/逃れられないもとの葛藤(「アンドレイ・ルブリョフ」「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」)があった。

そして、失望と希望の葛藤(「ノスタルジア」)。

この「サクリファイス」の、アレクサンデルが語る舞台俳優を止めたエピソードは、「ノスタルジア」がタルコフスキーの共産主義への失望だと受け止められ、一部の西側政治的勢力からは称賛されたものの、故郷にノスタルジーを感ぜずにはいられなかったタルコフスキーの違和感を表しているように思えてならない。

かみ合わない家族との会話もそうだ。
これは、共産主義もそうだが、身勝手な世界との違和感でもあるはずだ。

核戦争の可能性を煽る世界。

この作品では、核戦争が起きたとテレビが伝えるが、もともと、核戦争の可能性を煽る風潮はあったのだ。

世界を救うためには、マリアと一夜を共にしなくてはならない。後押ししようとする郵便配達。

タルコフスキーの亡命は、マリアとの一夜として表現されているのかもしれない。
しかし、マリア(西側諸国)は魔女かもしれない。

そして、核戦争はなかった。

もともと核戦争はなかったのだ。
でも、自分が魔女と取引したから核戦争が消失したと信じるアレクサンデル。
タルコフスキーもそう信じないとやっていけなかったのかもしれない。

今の世界の僕達も、さまざまな情報に翻弄され、何が正解なのか、どうするべきなのか、日々、答えを出しあぐねている。

さまざまなところに欺瞞や悪意が隠れている。

ベルリンの壁崩壊以前に、亡くなったタルコフスキーの名誉はソ連で回復され、その後、ソ連は崩壊し、ロシアでは民主選挙も実施されるようになった。

しかし、今や世界は、テロに怯え、新たな勢力が台頭し、米ソのような二元論では語ることのできない混沌とした状況になっている。

もっと複雑で混沌とした世界。

タルコフスキーが世に問うたものは何だったのだろうか。

世界と個人との関わり方ではないのか。

子供が初めて口ずさむ「はじめに言葉ありき」

言葉は人と世界とを結びつけるものではないのか。

そして、その世界は、共産主義社会がというより、もっと大きな世界を指しているのではないのか。

そんな風に思う。

※ タルコフスキーは難解だと言われるが、この作品の母親の庭や前世が日本人という話や、ソラリスの近未来社会の高速道路などで、日本人の情緒はくすぐられて、ファンも多いのだろうなと思う。
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