真田ピロシキ

はだしのゲンの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

はだしのゲン(1983年製作の映画)
4.0
最近のアニメはとにかく原作への忠実さばかりを求められていることが先日話題になっていた。忠実さが本当に立派なアニメ化なのだろうか。例えば『ジョジョの奇妙な冒険』では特徴的な擬音ですらわざわざフォントで"再現"していたが、そんな動いて音がついているだけの漫画のようなものが面白い?自分は色々な理由から基本的に今のアニメを嫌っているので、漫画を脚本兼絵コンテのように扱うアニメファンと呼ばれる連中の態度が気に食わない。連載途中だったのでアニメオリジナルの物語を描き切った『鋼の錬金術師』や原作者の思惑を超えたという(原作は途中までしか読んでない)『進撃の巨人』みたいに原作と鎬を削ることにこそ映像化の意義があるんじゃないのだろうか。実写化にしろ舞台化にしろ。

このアニメは続編もあるが90分もないために尺不足は如何ともしがたくて削られた要素は多い。ゲンの兄2人はおらず、死んだ英子そっくりの夏江も未登場。大きな点は中岡家を非国民として徹底的に爪弾きにし助けられた恩も返さず見殺しにして、戦後は自分は戦争に反対してたなんて嘘八百を並べて名士面をする町内会長 鮫島伝次郎の不在。コイツは残して欲しかった。見ざる言わざる聞かざるでカスどもの人形となり、喜んで加害者側にも回った癖に終わったら被害者面をして仕方がなかったと言い張れる厚顔無恥で卑劣なクソ日本人のカリカチュア。今の普通の日本人様もそのうち「無能で傲慢な安倍晋三のせいで日本が見るも無惨に落ちぶれた」「権力に迎合したマスゴミのせい」とか言うぜ。テメーらが投票にも行かず、行ってもどうせ「野党がだらしないから消去法で自民」とかやってた癖によ。鮫島は今も多くの日本人の中で現実に生きている。なので鮫島がいれば今なお強く突き刺さる映画であっただろう。

それでも非国民を誇りとする父の姿や玉音放送での天皇への怒り、差別されている描写はないものの隣の朝鮮人 朴さんはちゃんと存在しており大事にするべきものは選んでいる。特に朝鮮人は重要度を鑑みてだろうがトットちゃんでも削られていて、近頃は平然と関東大震災の虐殺を否定し群馬の慰霊碑を破壊する蛮行が行われている状況となると忘れようとしていないだけでも意味がある。

圧巻はやはり原爆投下直後の光景。高温で人が動物が溶け炎上し、生き残った人たちは幽鬼のように肉や目玉を垂れながら彷徨い歩く。渇きを訴える人たちに水を飲ませれば絶命する。昔、平和教育で聞いた無惨な光景。お国を称えようと実際に戦争が起きて割りを食うのは末端の人間だけ。見ている人の大半はこっち側。お前は政治家でも自衛隊の幹部候補生でもない。それを悪趣味なまでのビジュアルで感情へ直に訴えることこそ戦争を考える上で必要なのだ。パトレイバー2のような賢ぶったキモいミリオタが観念的な戦争を念仏染みた臭い台詞回しで弄ぶようなものじゃ決してない。それとこの民間人が一方的に殺される地獄絵図は現在ガザで起きていることを連想させられて、心苦しくて涙が出てた。人が虐殺される悪に対して理解を示そうとする前にまず共感することを試みなければ。遠いガザは難しくても自国のことからなら想像を巡らすことは難しくないだろうか?そういう意味でこの映画は一見の価値がある。

最後にガザへのデモをはじめとして様々な社会的な事柄に積極的に声を挙げている今時珍しいミュージシャン春ねむりのディストラクションシスターズの歌詞を引用する。
「コンクリートで均された町。隠された骨を踏んでビルが建つ。山になった見えない死体を送る讃美歌はどこにもない。
飢えたネズミが息を殺して路地裏のゴミを漁っている。植えた草木が雨に打たれて血まみれになって枯れていく。
ハスラーたちは路地裏で、皇帝たちはこの星でフロンティアを探し求めて人がゴミみたいに死んでいく。
君もそうやって死んだそしてなかったことにされ続けた。狂っているのは誰のせい?狂っているのは。」