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ソーシャル・ネットワークのよのレビュー・感想・評価

ソーシャル・ネットワーク(2010年製作の映画)
4.4
高校生のとき、英語の勉強を兼ねて五周くらいした。
本当にどうでもいいが”goddam”の綴りを覚えたのはこのときだ。

なぜこんな話をするかというと、その当時は「マーク・ザッカーバーグ酷い!」とたしかに感じていたからだ。それをしかと覚えている。
なのにいま見返すと、彼のどこに非が有るのか分からない。いや、有るには有るが、批判や賠償金の大きさには見合わない。
私は寛容になったのか、それとも非寛容になったのか。

劇中での結論を鵜呑みにするわけではないが、ザッカーバーグは悪事を働いていない、というスタンスに私は立ちたい。
やったことは悪くないが、やりかたが下手だった。それだけのことだ。
まあ本当にやりかたが荒いので、訴訟されるのは無理もないが。

サベリンの切りかたは、たしかに友達のすることではない。非難されるのももっともだが、しかし、会社のための意思決定に友情を持ち込むのもおかしくないか?
CFOなら資金調達の成果で評価されるべきであり、それが芳しくないなら首を切られて当然だ。逆に、友達だから続投します、なんてことになったら株主が泣く。
それにこんな所業、アメリカのファイナンス業界では日常茶飯事だろう。日本ですら投資ファンドのやることはえげつない。
血も涙もない奴がうじゃうじゃいて、そいつらが弱肉強食という思想を浸透させきっている。それがこの業界だ。大金の動く世界はどこもそうだ。

盗作云々に至っては話にもならない。
ITサービスはエンジニアがコードを書かなければ始まらない。それが全てだ。
金やら戦略やら倫理やらが無くとも、コードさえ有ればソフトウェアはリリースできる。逆は無い。
それが、技術を身に付けるということのメリットじゃないのか? その強みを行使することの何が悪いというのだろう。

たった一人のエンジニアがいれば、社会的に価値有るものを生み出せる。
テクノロジーが進歩して、せっかくそんな夢のある時代になったというのに、こうした業界の常識と一般的な道徳通念がずれるのは悲劇だと言っていい。
ザッカーバーグもサベリンも、傷付きたくてFacebookを作ったわけではないからだ。
よ