♪ 千切れた羽を欲しがる あの人は羽ばたく
夢見るアゲハの様に 狂い咲く花園
昭和31年の法廷劇。
神阪四郎は心中偽装殺人を起こしたのか。
それとも巻き込まれた被害者なのか。
…という事件を複数の視点で捉えた物語。
正直なところ、見慣れた題材です。
本作より6年前には『羅生門』が映画化されていますし、それと同系列に括るのは可能です。しかし、それでも面白いのは「真実はいつもひとつ」と限らないから。
いつの時代においても人間は弱いもの。
「真実」という耳触りの良い言葉に寄り添ってしまうのです。
しかし、それは“思考放棄”と同じ。
主体を全面的に委ねることに繋がります。
大切なことは“疑うこと”。
目の前にあるものが本当に実在するのか。その発言に客観性はあるのか。誰かの利益に誘導されているだけではないのか。自分や家族が不幸にならないために“考えることを放棄してはならない”のです。
そして、本作はそれを痛烈に描きました。
しかも、昭和ならではの“魅せる芝居”が切れ味鋭いのです。現代の“自然体の演技”に慣れていると違和感が先立つかもしれませんが…本作のような題材にはピッタリだと思いました。
ただ、一点だけ、拭えなかった違和感。
それは主人公の神阪四郎が“オネエ言葉”っぽくなる場面。あれは昭和30年代だと一般的だったんでしょうか?考えてみれば『ドラえもん』ののび太も「かしら」を連発していましたからね。何が女性言葉なのかと考えるのは詮無きことかもしれません。
また、昭和の話で言えば。
時代の変遷を感じられるのが昔の映画の良いところ。室内の調度品なんかも時代を感じさせてくれるものばかり。とてもセピア色の気持ちになりました。そう言えば、昔は三畳の部屋とか当たり前にあったんですよねえ。
まあ、そんなわけで。
先入観に挑む法廷劇。自分は他人をどのように判断するのか?と問われる物語ですから、古い映画と厭わずに歴史を楽しむような気持ちで臨むことをオススメします。