デニロ

一人息子のデニロのレビュー・感想・評価

一人息子(1936年製作の映画)
4.0
帰省した二男がこんな話をしていた。仕事で通っている農家で猫が生まれた。そのうちの一匹が、成長が悪いのか病気なのか痩せこけていたので農家の人に断って保護した。病院に連れて行き、抗生物質を買い与え、栄養も補給したけれど、6日後に死んでしまった。その翌日が公休日だったので火葬してもらって、その後、猫のいた農家に、ここにいた猫なので散骨していいかと断って葬った、と。

笠智衆は言う。これからは学問だ。息子さんが上の学校に行ってくれてわたしはうれしい。それを聞いた信州の製糸工場の女工飯田蝶子はしどろもどろ。息子の担任教諭笠智衆が帰った後、中学なんてとんでもないよ、そんな余裕なんかないよ、と言い放つのだけど、学問がなくちゃこれからの人間は話にならない、という笠智衆の言葉を噛みしめて、何が何でも大学に行かせようとこころに誓う。

東京の大学を卒業して市役所に勤めているという息子に会いに上京した飯田蝶子。出迎えた息子に円タクに乗せられ華やかな都会の風景を背に家に向かう。円タクを降りるとそこは索漠とした雰囲気のごみ処理場のような場所。立身出世を期待していた飯田蝶子にしてみればその土地の雰囲気で何となく息子の暮らしぶりが分かってくるというものだ。小さな家に招かれるとそこには嫁/坪内美子がいて、赤ちゃんもいる。知らせなくてごめんなさい、ちゃんとしてからと思ってたんだけど。障子にはジョーン・クロフォードの写真。何事が起っているのかが分からぬままに呆然とする。息子は既に市役所を辞め、今は夜間中学の教員をしているという。母親をもてなすお金を学校の同僚から借り、東京見物に連れて行く息子。つらつら話を聞いていると、お母さんにはまだ東京に来てほしくなかった、僕だってこんなつもりじゃなかったんだ、東京になんて出て来るんじゃなかった、そんな愚痴めいたもの言いだ。まだまだこれからじゃないか、あっさりと諦めないで欲しい、田畑を、家を売り払って今は工場の寮住まいの飯田蝶子は虚しい思いでそう言うしかない。

これでお母さんをどこかに連れて差し上げてと、妻が自分の着物を売って作った金を渡されて、息子は、みんなで行こう、お前も支度しろよ、お母さん出掛けましょう、とその時、懇意にしている隣家の子どもが馬に蹴られて大怪我をしたと呼び声が耳に入り、息子は何はともあれ現場に駆け付け子供を背に病院に駆け込む。子どもは大事には至らなかったけれど暫らくは入院をしなくてはならない。母親/吉川満子はほっとしながらも、顔の表情は暗い。母親の懸念を察した息子は、こんなものでも少しは役に立つでしょう、と妻から手渡された金を母親に渡す。

飯田蝶子は言う。貧乏してると、ああいう時のありがた味が嬉しくなるもんだ。ことによるとお前もお大尽になれなかったのがよかったかも知れない。お前、今日はいいことしてくれた。今日はおまえのような息子を持って ほんとに鼻が高かった。どんないい所へ連れて行って貰ってもあんないい目には会えないよ。これが何よりの田舎へのお土産だ。

おかあさん満足してお帰りになったかしら/多分満足してはお帰りになるまいよ/

これで まごに なにか かってください はは

飯田蝶子の書き置きを読んで、/俺、もう一遍勉強するぞ、で、お母さんにもう一遍出て来て貰うんだ/あなたはいいお母さんをお持ちになってしあわせですわ/って、あなたもいい奥さんですよ。

親がこどもを褒めずに誰が褒めるんだという話に思う。後年の『東京物語』に続きます。

1936年製作公開。原作ジェームス・槇(小津安二郎)。脚本池田忠雄 、荒田正男。監督小津安二郎。

神保町シアター 生誕120年・没後60年記念 フィルムでよみがえる――白と黒の小津安二郎 にて
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