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青いパパイヤの香りのyuienのレビュー・感想・評価

青いパパイヤの香り(1993年製作の映画)
5.0
ウェールズ語で「hiraeth」ということばがある。二度と帰れない、或いはもう既に存在しない故郷への郷愁という語意があるらしい。『翻訳できない世界のことば』という絵本のそのページを読んだとき、真っ直ぐに頭に浮かんだのがこの映画だった。

本作の舞台は1951年から1961年までのベトナム。其処では、時間の流れはゆるやかで、人びとは気だるく 穏やかにくつろぎ、甘ったるい熱帯の湿度は、ねっとりと首筋を愛撫する。虫時雨、美しい花鳥月露。一瞬の中に永遠が宿るような不変さ。

しかし、実際のベトナムは、1955年から始まった戦争で蹂躙され、小鳥の囀りの代わりに鳴り響くのは残酷な銃声と逃げ惑う悲鳴。
監督は、幼い頃戦争から逃れるため、家族とフランスに移住し、この作品もフランスでセットを拵えて再現されたとのこと。

だから、ここに映し出されたのは本物のベトナムではなく、望郷者の「hiraeth」の中に息づく甘美な幻想であり、傷ついた母国へ手向けた弔いの花束とも言えるかもしれない。

外界から守られ、閉ざされた世界の中で、ドビュッシーの官能的な旋律に優しく包まれて、少女は醒めない夢の中で女性となる。

***

小さい頃祖父母と広い平屋に住んでいた。定年退職した祖父は小さな雑貨屋さんを営み、わたしと妹はよくお店で好きなお菓子を取って食べた。裏庭の蔓には毎年葡萄がたわわに実り、うさぎ、ひよこ、飛べない鳩、たくさんの動物がいたるところにいた。窓辺でぼんやりしていると、ときどき隣家の男の子が壁を攀じ登って話しかけてきたりしたものだった。空気は太陽にぬくぬくと暖められ、あたりには光と緑の香り。とてものびのびで幸福な子供時代。

その後祖父は雑貨屋さんを人に譲り、私たちは転々と引越しを重ねたけれど、平屋の記憶はいつも心の一番大切なところにしまっていた。10代の後半に一度車で其処を通ったことがある。土地改革で一帯の家々は全部取り壊され、面影もないほど都市化されていて、ひどくショックを覚えたことは今でも鮮明に思い出せる。ああ、これで帰りたくてももう二度と叶わないんだ、と。

わたしにとって「hiraeth」ということばもこの映画も特別な意味と存在をもって、心のひだに絡みつくのはそういうゆえんも働いているかも知れない。
たとえ永遠に失われた場所だとしても、心の中の故郷はいつまでも無疵のまま。
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