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ブレア・ウィッチ・プロジェクトのotomisanのレビュー・感想・評価

4.0
 日本の雑木林ならあの丘の向こうはすぐ住宅地だ。ところが、ブレア村では7日歩いてもどこにもたどり着けない。さらに、この迷宮を夜な夜な何者かが訪れる。これについての撮影隊3人の憶測がまことに印象希薄なもので、それが話の盛り上がりを殺いでいる。しかし、迷宮の主催者は、ここを抑えて後の楽しみ、獲物の旨味を温存すべきと念じているのだろう。
 むしろ、恐ろしい憶測がこころを壊す前に3人は既に自身のこころの弱点が危機感に揺さぶられ、こころの疲労亀裂が生じているようだ。これはどうやら、ブレアの魔女たちへの懸念を払拭するほどのものらしい。
 そんな亀裂の表れが、迷宮に苛まれ分別を失ったマイクによる地図の破棄であり、絶望感に囚われたジョシュの喪心であり、合理性に乏しい指揮者ヘザーの虚勢、強弁で、その「今日アメリカで」という物言いである。
 優秀な人材が集い、未来を切り開く先端地アメリカで魔女伝説など息づく余地があるのだろうかとばかり乗り込んだブレアの森だが、数十年おきに起こる異様な事件の周期がまた巡ってきた折も折の3人の闖入である。7日間たっぷり弄ばれて見舞われるのは前回のラスティン・パーのレシピによる死の調理である。
 地下室の隅を向いたマイクを認めるヘザーがカメラを取り落とす瞬間、死の罠に落ちたとは誰もが思うところだろう。しかしそれは、魔女の包丁式の始まりに過ぎない。そこから一連の解体の儀礼が始まるのだが、それは、3人が初日にヒアリングした村人の過去の事件についての証言を思い返せば何が起こるか想像に至るだろう。
 おもしろいくらい低評価に傾く映画だが、かかる想像の恐ろしさを無意識に忌避した人は目を背けるようにつまらなさを語り低スコアを発し、己が恐怖をなかった事にしたいのだ。そんなこころの鋭敏さは撮影隊の3人が抱えるめぐらしたくない憶測を忌避し、自身の弱さゆえ壊れてゆくこころと同じ傾向であるに違いない。
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