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祇園囃子のharunomaのレビュー・感想・評価

祇園囃子(1953年製作の映画)
3.0
A Geisha 1953 なる身も蓋もない英題。

五十年代溝口の傑作群のなかで、なぜかこれと木暮実千代が出ているものにはショットが反応できない。溝口組での若尾文子の伝説的な証言があったとしても、イメージは書物のなかでしか資料として再現されない。やはり若尾文子はその後の増村保造による。溝口の助監督。ショットは配信ではない。映写だ。

他作品と比べて隠されている秘密、ヴェールが、元も子もなく見えるのは、主演の二人によるのかも知れない。(生活し生存しているこの現実界の底に、もう一つまったく別の第二の現実が秘められていて)ただ誰が見たわけでもない、トンネルのような夜の花街の暗い路地があるだけだ。
山田五十鈴や香川京子の透き通った情動(より現実的な)はなく、もしかしたらこの戦争はそこまで重要にも想えず、もうひとつの層が見えない、その必要がない構造と、ただドラマが表象されているだけに見えてしまう。プロットを超えていかない演技やショットは、ただ流れていくのを確認するまでだ。実際スクリーンで一度きりしか観ず、相当程度忘れて、配信で確認している。またの機会に。
《他のためにその身代わりとなる一者、あるいは》罪の天使たちの度合いがことごとく薄い。兄妹心中にもならん。
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