Monisan

祇園囃子のMonisanのレビュー・感想・評価

祇園囃子(1953年製作の映画)
4.4
観た。

当時の祇園での芸妓・舞妓の文化を観られるというだけでも貴重なフィルム。
小説が原作の映画を観ているんだけど、ドキュメンタリーのような臨場感というか、没入感かな。この姉妹の生活を近くにいさせてもらって、追体験したかのような感覚になる。凄まじい演出力。

母親を亡くし、別れた病気の父親の元へも行けずに、昔の父親のつてでもある美代春(木暮実千代)を訪ね、舞妓になりたいとお願いにくる栄子(若尾文子)。
若尾文子がとても初々しく、可愛らしい。なんて整ったお顔なんだろう。

父親からは承諾書はもらえなかったが、無事に美代栄として舞妓修行を始める。
ここからお稽古の様子や、家事をこなしていく栄子の所作が本当に美しい。
お茶の先生に、日本はフジヤマ、ゲイシャガールといって生きてるだけで芸術、無形文化遺産や、と。
フジヤマ、ゲイシャはいつから言われているんだろう。

筋の良い栄子はお座敷へ上がる事に。
しかし着物一式揃えるのに30万かかると。お茶屋の女将に無心する美代春。
デビューの日、出かけてすぐにおめでとう、とすれ違う人らに声かけられる様子は、観ていてこちらも高揚する。

ここで車両会社のお座敷で初陣。
この車両会社の専務・楠田と、発注者である役所の課長・神崎とのやり取りも当時のリアリティなんだろうな。
8000万の大きな取引を成立させる為に、ド接待をする楠田達。
結局、日本の文化なんだよね…接待して仕事を受注する。そこに女を絡めて。
昨今、どんどんコンプラを厳しくしていくのは構わないが、今後日本はどうやって仕事を作っていくのか…なんて。

神崎は美代春に一目惚れ。楠田は遊び慣れていて可愛い美代栄を気にいる。
この辺なんか現在でもその辺の街で繰り広げられてる光景だな。
美代栄はその後も、現代っ子振りを発揮して奔放に振舞い人気も出てくる。

ある日、東京へ呼び出される2人。
楠田は美代春を神崎へ差し出す目論み。それをやんわりと拒否する美代春。
少し意外、芸妓さんは慣れっこと思っていた。その嫌がる仕草の木暮実千代がとても色っぽい。
美代栄も全く予期せぬまま、楠田に押し倒され思わず舌を噛んだのかな、美代春が駆けつけると悶絶する楠田と、口から血を垂らす栄子。

その大失態からお茶屋から締め出される2人。厳しい世界。意気消沈している美代栄が切ない。
そこへ栄子の父親が美代春を訪ねる。一瞬、何か好転するかと思いきや金の無心に…それでも美代春は指やかんざしなどを与える。

結局、神崎と美代春さえ結ばれて楠田達の契約さえ成立すれば解決するという事なんだけど、自分で何とかしようと1人で女将に謝りにいく美代栄。健気過ぎる。
結果的にその勝手な行動が美代春が決断ふるきっかけになる。神崎のいる床へと向かい。着物を外していき、足袋を脱ぎ暗転。それしか描かれない、品と色気のあるベッドシーン。

翌日、午後まで帰って来ない美代春に状況を悟った栄子。戻ってきた美代春に、身体売らなきゃやれない芸者なんて辞めてやる、姉さんも辞めて、と。強い表情。
頬に平手打ちをして、あなたの事は私が守るから、と美代春。私があなたの旦那になるから。という台詞も良い。本当の姉妹のようにより強く絆を結ぶ。

許された2人には続々と予定が入り、2人で颯爽と祇園の通りに繰り出し、終わる。
良い余韻。

この映画を母国語で理解できる国に生まれて良かったな、と思わせてくれる作品。

溝口健二、監督。
Monisan

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