YasujiOshiba

ポー河の水車小屋のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ポー河の水車小屋(1949年製作の映画)
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日本語版DVD(コスミック出版)。23-42。ニーノ・ロータ祭りの番外編。音楽はミラノ時代のロータの師匠であるイルデブランド・ピッツェッツィ(1880 - 1968)。ウィキを見ると「ピツェッティは... 初期バロック音楽やルネサンス音楽への回帰をうたったが、叙情的な旋律、半音階的進行を好む和声法、流麗な転調においてロマン派音楽の伝統とつながりを保っており、しばしばセザール・フランクの作風に似ていることが指摘されている」ということらしい。

なるほど、そのピッツェッティの音楽がよい。ポー川の流れ、イタリアの農村風景にピッタリの旋律。さらに社会主義運動により労働争議のなか、昨日まで仲間だった者が「スト破り」として呼ばれるなかの悲劇には、悲劇らしい伴奏もつけてくれる。

全体としては実に抑制の効いたロマンチックな音楽。イタリアのネオレアリズモの代表作の一つなのだけれど、この音楽とラットゥアーダの演出がいまくマッチして、ドラマチックな盛り上がりを見せるものだから、感動してしまった。ラストシーンなんて、もう震えがくるくらい。

でも注意すべきは、ネオレアリズモと呼ばれても、それは特別に新しいものではないということ。ここにある農村的リアリズムは、なるほどポー川の風景こそ目を引くのだけれど、そのルーツはブラゼッティの『母なる大地』(1931)あたりにまで遡ることができる。

ある意味でそれはイタリアのお家芸。物語の時代は19世紀末なのだけど、それは20年代に近代化がすすむなかで、都市を中心にモダニズム文化を掲げる「ストラチッタ stracittà」(都会主義)に対して、ローカルな農村的世界の健全さを訴える「ストラパエーゼ strapaese」(郷土主義)という流れとして浮かび上がるもの。

都市が重要だからこそ農村。そして農村に社会主義や労働運動を持ち込もうという近代化の流れにともなう暴力と悲劇とそして愛。そうなんだよな。こんなふうにラブストーリーを語られるグッときてしまう。

脚本には前作の『慈悲なき世界』(1948)に続いてフェデリコ・フェリーニとトゥッリオ・ピネッリが入っている。フェリーニ風というのはちょっと早いかもしれないけれど、こういう場所からフェリーニが育ってくると考えると、なんだか納得させられるではないか。

この作品に続いて翌年には『寄席の脚光』(1950)で、フェリーニは共同監督として監督デビューするのだけれど、残念ながら、そして幸いなことに、ラットゥアーダとの関係はそこまでとなる。興行的な失敗が、ふたりの仕事のつながりと友情にヒビを入れたのだろうか。怪我の功名は、その後フェリーニが『白い酋長』で監督デビューすること。そしてそれが、フェリーニとニーノ・ロータの長い長い友情の始まりとなる。
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