びこえもん

トスカーナの贋作のびこえもんのレビュー・感想・評価

トスカーナの贋作(2010年製作の映画)
4.2
イランの巨匠アッバス・キアロスタミの晩年の作品で、フランス・イタリア資本での映画です。イタリア・トスカーナを舞台に、フランス人女性とイギリス人男性の奇妙なロマンスのような何かを描いた人間ドラマ。
やはりヨーロッパ映画になってもキアロスタミはキアロスタミだな〜という感じ。良い映画でした。

出会ったばかりの男女がたまたま夫婦と間違われたことをきっかけに夫婦ごっこのようなことを始めるというストーリーですが、架空の夫婦エピソードを連発しはじめ、感情的になり、本当にそんなことがあったかのような振る舞いをするという、「贋作」というタイトル通り本物なのか嘘なのかよくわからない愛の物語が滑らかに紡ぎ出されていきます。

特に『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』など、キアロスタミの従来作品は擬似ドキュメンタリー風などフィクションと現実の垣根を曖昧にするものがしばしばありますが、まさに本作品では現実と創作ではなくフィクション内での実際と虚構の境界を水で滲ませたようにぼやかしていきます。

断言調で言えば、これはラブロマンス映画です。ただしそれはジュリエット・ビノシュとウィリアム・シメルが演じる恋愛フィクションではなくて、夫婦役を演じる男女をビノシュとシメルが演じるという、2重に虚構なラブロマンスなのです。あまりにも滑らかに架空設定の話に没入していくため置いてけぼりを食うかもしれませんが、キアロスタミの他の映画をいくつか観ていればこれは彼がしばしばやる「映画を撮っているという設定の映画」の応用編であることが分かります。

そもそも映画はガチモンのドキュメンタリーを除けば全部虚構です。実話を元にしたものも多いですが、かといってラミ・マレックはフレディ・マーキュリーではないし、ブルーノ・ガンツはヒトラーではない。そういうのを含めて、「観ているものが実際の映像ではない」という意味において、全部創られた作品なわけです。だが人は映画を観るとき、その虚構をいとも当たり前かのように受け入れて作中世界に没入します。
人は木の棒を振り回しているラドクリフの映像を見て何の疑問もなくハリー・ポッターが魔法を使っているのだと理解するし、公園で踊るゴズリングとストーンはセブとミアという恋に落ちた男女なわけです。でも実際はゴズリングとストーンが恋人なわけじゃない。そんなの当たり前でしょ〜〜って思うかもしれませんが、そこの境界線を一歩画面の中に引き込んだ瞬間、否、第4の壁を一歩外に置いた瞬間、「これ」になるわけです。俳優同士が恋人じゃなくても、二次創作ではない他でもない公式的なストーリーなら、彼らの恋仲は事実だし、愛は「本物」である。そこで、「なら『トスカーナの贋作』で見せられる架空の夫婦の姿は、偽物ですか? でも、あなたが普段観てる他の映画だって要は同じですよね」と、この映画は「本物の贋作」というキーワードにひっかけて、頭では分かっていてもいざ突きつけられるとよく考えていないフィクションとしての映画たるものの本質を観客に今一度問いかけるものなのではないかと思います。

こうしたテーマ性のほか、演出面を観ても随所にキアロスタミ節が感じられます。ジグザグ道三部作など他の作品を観てもキアロスタミは本当に車の移動シーンを長々と尺使って見せるのが好きなようで、しかも車内の人物にフォーカスして外の様子はほとんど映さない(外の景色の話をしているのに)というのが非常に特徴的ですが、本作でもドライブシーンでやはりそういう所が強く感じられます。

ペルシャの詩を引用してるシーンがあるのがキアロスタミが「これはヨーロッパ映画だけど撮ってるのはイラン人の監督だぜ」ってアイデンティティを盛り込んでるような感じがしてちょっと面白かったです。