Ricola

ゴールデン・エイティーズのRicolaのレビュー・感想・評価

ゴールデン・エイティーズ(1986年製作の映画)
3.6
地下のショッピング街で行き交う恋心。
それらは交わったり交わらなかったりすれ違ったり流されていったり…。
美容室で働く女の子が恋するのは前のブティックのオーナーの息子。でもそんな彼が恋するのは美容室の店長である年上の女性。でもその彼女はまた違う男性と…。
さらにブティックのオーナーの妻のもとに、元恋人が急に訪れる。
こうやって、それぞれの恋が入り混じっていく。


恋愛真っ只中の人物たちの心情や感情、そして彼らのその時どきの状況の変化を、美容室で働く女子たちやショッピング街にたむろする青年たちによる、ときに合いの手のように機能する歌が、状況説明などのナレーションのような役割を担うこともある。

突発的で短い歌唱の連続に慣れるのに少し時間がかかったが、作品の繰り返されるモチーフが作品の軸になっているなど、演出の一貫性はしっかり貫かれているのだ。
それは足元および足音である。
オープニングでは、地下街を行き交う足元に焦点が当てられる。タイルの床がただ映し出されるなかで、画面を出たり入ったりする人々の足元だけが見えるのだ。これは『シェルブールの雨傘』のオープニングシーンを彷彿とさせるものである。

パンプスや革靴などのカツカツと響く靴音と、足元のショットは作中でも活かされる。
足音はBGM の一環として機能するのはオープニングから明示されている。
足元に関しては、恋愛感情や状況を間接的に示すのに有効であることがわかる。
例えばブティックの試着室ではカーテンを閉めても足元が見える。
絡み合う足元だけでも、十分濃密なやり取りをしていることがうかがえるのだ。

ちなみにカーテンはブティックのみならず、美容室でも仕切りのカーテンが存在する。そこにおいて、プライベート空間の確保はもちろん、密会の場として堂々と用いられるのだ。

恋や怒りや嫉妬などで感情が高ぶっても、人混みが相手を遠ざけてくれる。
急に雪崩のようにやってくる人々が、彼らの意思など無視して押し込み、それぞれを離していく。
ショッピング街がひどく混むときは、恋人たちの意思疎通さえも妨害されたり、すれ違いをもたらしたり、さらにそのおかげで考える時間がうまれて頭を冷やすといった、恋にプラスの効果をもたらすこともあるのだ。

恋のかけひきや自然のなりゆきなど、いわゆる恋愛ドラマ的展開が、足元や仕切りによって見出されるとともに、感情や心情表現が当人のみならずその他大勢に任されることや集団の動きなどで全体の流れを起こすのは、ミュージカル映画らしい一面であると感じた。
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