ぽん

鳥のぽんのネタバレレビュー・内容・結末

(1963年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

鳥が人間を襲う恐怖映画なのに出だしのラブコメ・テイストには面くらった。しかもヒロインのティッピ・ヘドレンが金持ちのイカレ娘みたいなキャラで、私はパリス・ヒルトンを思い出してしまった。スクリューボール・コメディか?ってくらいの奇行ぶり。

ところがそんな彼女にロッド・テイラーはすぐメロメロに。打ち解けてみれば彼女は思いやりのある優しい女性だった。これまでのお騒がせな行動は子どもの頃に母親に捨てられたトラウマが原因で、自暴自棄になって自分を見失っていたせいなのかなと分かってくる。
・・・いやいや原作には微塵も出て来ないこんな物語をよく入れ込んだなと驚いたし、だんだんこのヘドレン嬢が可愛らしく見えてくると(あのラブリーな寝間着!)、私の中ではこの映画の印象がちょっと変わってきてしまうのでした。

確かに、徐々に徐々に日常が変容していく不気味さはスリラーとして上質の味わいがありましたが。
原作では、あの鳥たちはナチスの暗喩とかなんとか解説にあった気がする。が、本作の制作年は1963年。東西冷戦構造の真っただ中にあって朝鮮戦争の記憶もまだ新しく(作中にチラとそこに触れるセリフあり)、世界の共産化を怖れたアメリカのヒステリー的な恐怖が投影されていると読めないこともない。

まぁでも、そんな無粋な読みは置いといて、表層的な恐怖を味わうのがやっぱりこの作品の楽しみ方としては正解な気がする。で、自分はそこにプラスして「人生に迷っていた女性がブレイクスルーを果たして愛を獲得する」という物語を見出して勝手に愉しんでしまった。

メラニー(T・ヘドレン)は田舎の港町に思いがけず逗留することになり、そこでの人々との出会い、特にミッチ(R・テイラー)の母親(ジェシカ・タンディ)との交流が彼女を変容させる。夫の死に打ちのめされているこの母親は、男を作って出て行ったメラニーの母とは真逆の、ピュアな夫婦愛を体現する女性だった。メラニーは何かに突き動かされるようにこの母親に寄り添う。

鳥の襲撃に備えて窓に板を打ち付けて家に籠城してなんとか持ちこたえた後、なぜか夜更けにひとりメラニーは2階の様子を伺いに行って部屋の扉を開けてしまう。すると部屋の天井に穴が開いていて部屋の中には無数の鳥が・・・!ここの彼女の行動は謎で完全な自爆。
この「主人公が2階の部屋を見に行くと地獄絵図が待っている」という描写は原作にもあってかなり印象的なので、優れた恐怖シーンとして描いておきたかったのかなーとも思えるが、映画の方ではちょっと不自然に見える。敢えて危険な場所に自ら身を投じているように見えるのだ。犠牲になりに行くというか。

これが私にはメラニーが愛を獲得するためのイニシエーションのように思えて。生きるか死ぬかの最後の関門。で、彼女はからくもこれをクリアする。ミッチと結ばれるために攻略しなきゃいけなかったラスボス=ミッチの母親の情愛もゲットし、彼女は愛に満ちた家族の一員になったとさ。めでたし、めでたし・・・?!

思えば、幕開けでこの物語を駆動させたラブバード(つがいのコザクラインコ)が最後までしっかりこの家族と共にいる。やっぱり動機は愛がいい。
とにもかくにもハリウッドの金科玉条は「Love conquers all」(愛はすべてに打ち勝つ)なのだなーと、こんな作品からも思い起こさせられたのでした。
ぽん

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