しおの

西鶴一代女のしおののレビュー・感想・評価

西鶴一代女(1952年製作の映画)
2.8
話はさほど面白くなかったが溝口健二のカメラワークは絶品で印象的なシーンが多かった。竹藪のシーンと島原の捕り物のシーンが特に良かった。ストーリーは老いた街娼である主人公お春が若い頃を回想するところからはじまるので、オープニングの時点で不幸が約束された話であることが分かる。彼女の遍歴は社会が強制する女の役割に翻弄されるが、時により相手により稼ぎ、身体、出産、ひとりの妻として、反面教師と求められるものが違う。また、子への面通しの顛末と対にある母親の存在と街娼仲間の存在が女の連帯を描いているが具体的な救いには遠い。辿り着いた果ての羅漢に男の顔を重ねるのは羅漢も所詮男だという着想があったからか?そうであればラストが意味するものも変わってくる。今よりも女が主体性をもって語ることができなかったのは井原西鶴の時代だけではなく溝口健二の時代も同じで、溝口がお春に託したかったのはそういう社会に虐げられた女の諦観ではなくて、お春が最初に愛した男の今際の際の言葉と声を揃えてする先の時代の社会への力強い告発なのかもしれない。田中絹代は落ちぶれてからは貫禄だったし演技自体はともかく、ただ若い頃のお春をどうするのかと思ったらそのまま田中絹代が演じていて驚いた。公開当時40代の田中絹代に10代の女を演じるのはさすがに無理があり、前半はどう観ていいのかと困惑してしまった。お春は純真で且つ若い女の魅力に溢れていてこそ男の厭らしさもでると思うので、そういう物語上結構重要な要素を満たせていないのは気になった。「天井桟敷の人々」を観たときも似たようなことを感じたか。ほかでは進藤英太郎の顔が毎度なんかツボにはまる
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