ニューランド

今ひとたびののニューランドのレビュー・感想・評価

今ひとたびの(1947年製作の映画)
3.5
☑️『今ひとたびの』(3.5)及び『面影』(3.5)▶️▶️

40数年前十代で初めて観た時、何という完璧⋅最高⋅舞い上がるようなテクニック、しかし、何という空虚な後ろ向き内容と思った(当時は『砂の器』のような社会的発言ありげで、内実単なるメロドラマに反発⋅毛嫌いしてた)。そういう印象なので、やっと3回目だが、しかし、世界を見回してもこれだけの高度映画性に支えられた、正確華麗無比のメロドラマはないのではないかと、結構好きになってきてる。中身の薄いテクニックだけの作家は結構いるが(デュヴィヴィエ、リード、千葉泰樹、フォッシー、Jトー、チャゼル)、五所の場合は幾つかある顔のひとつでしかない。
切返し⋅感知し合い⋅関係性の顔の正面めと横顔他の角度選択の正確さ、(切返しも含むケースあるが)観る主体と観られる動く客体のフィクスとパンのキレ⋅リアル、俯瞰め⋅ロー足元や仰角め多用も無理な造型感なし、枝越し俯瞰めから低く降りてってまた少し上り廻るとか⋅地面や下半身動きから入るベースが足慣らしをしていて自然この上なし、表情⋅事態の2~3重重ね焼きの強さと⋅DIS繋ぎ滑らかさの併存、それを絡め⋅カードやコップや腕時計のアップでリズムと由縁繋ぎ⋅(心理悲劇志向からの)ダム流れや川の水面や浜辺の波と岩の力の⋅人の心フィットの割り込みや方向性も混合⋅そのタイミングと整合絶妙、劇場やトンネル⋅雨や雪の力⋅窓枠越しの光景等の細やかで広い枠の包み込み、2~3重の時制の往き来⋅字幕やモノローグ、人や物の配置やややあおった存在の威容や根の生え方の美、時代や境遇に合わせての衣装⋅メイク⋅装身具の変化、暗めやソフティ⋅フォギーいろんなトーンも都度活用、ズームにも見える事もある縦他のカメラワークのストレートさの時も。これらの絢爛も印象としてはナチュラルな描線が、殆んど隙なく正確絶妙に柔らかく繋がれ、万全の流れが生まれてる。
内容は政治にも生々しい生理にもおよび腰で、割りと口だけで⋅信念貫き第一でもなく⋅自分の体面で勝手に逃げまくる軟弱登場人物ら、それでも結構メロドラマ味は魅惑的に伝わる。「研究室よりも、セツルメントで貧しさ⋅不幸に苦しむ人たちの為に。政治に直に係わろうとは」「現代の愛は肉欲伴う? 精神的な只ひとつの愛こそ」「単なるブルジョア演劇? 彼女は違う」「教えて欲しい? 貴女と僕とは住む世界がまるで別。僕はここを離れる」「用心を、監視され次々逮捕へ」「兄の会社等の圧力での結婚、夫事故死の後のこれ迄の世界離れるも水商売、しかし、これからは世界の歪みに対して真正面から自力で働く、そうなった私と⋅兵役を生き延びて、必ず再会へ」「約束の時間と場所、亡くなったのか、現れない」「よかった、彼女は私達と一緒に看護婦として働き過ぎ、動けず療養へ、さぁ逢ってあげて」戦中、貧民の為に身を粉にして働き続けた医師と、複雑家庭環境とアカの令嬢呼ばわれ⋅不幸な結婚も経て、毅然と彼の側に近づいてゆくブルジョア令嬢の、戦後晴れて結ばる迄。繰り返すと、政治⋅社会内実を食い破る度合いは少なく、流れの悲運続きと偶然再会繰返しは、戦後民主主義謳歌の時流よりもメロドラマに近い。
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似た心理描写に長けてる作というを鵜呑みにしての、初見の『面影』は、実際に目にすると、正反対のテイストを狙ってる。一言でいうと泥臭く⋅なまなましく本音⋅真情を止められず、無意識に追求してく人の性。しかし、その内面の暴力性への、自他を越えての脅威は、幸せを越える、歪んでも補い合っての、生と(表面的近しさを越えた)コミュニティの存続に、舵を人々に取り直させる。
実際、タッチはあまり整っておらず、色々喧しく⋅絶えない音楽、カメラ縦移動の率直強さ、2~3重多重露光のもろオブセッション、夢世界のおぞましさの即現実の似た場面への影響力、どんでん⋅切返し⋅寄り入れ⋅出入りや90°め変も細かく正確に見えてズレ⋅硬さ⋅チグハグが見えて美学 をはみ出した、現実の制しきれない物が見え隠れしつづけてく。単なる映画的目先変えを越えて、執拗に出てくる浜辺⋅海⋅そこからの風。その解放感⋅拡がりが登場人物に作用⋅同化してゆく。
見掛け上、幸せにみえるひとは、自分が生涯を共有しきってやれないうちに⋅病で失った妻と、瓜二つ。その夫は、彼女と22歳差の自分にとっても恩師にあたる人。今は実業家として忙しいも、晩婚もこの上なく大事な妻のいる海の近い家庭に時間を割く。 そこに同行しての出逢い。自らの年齢差婚の成功から、ともに暮らす妻の姉(教師)の娘を、主人公の妻に考える恩師ら。激情というより、見せ掛け⋅欺瞞の何かをうっすらと感じ取り、他人ならともかく、幸せを全うさせてやれなかった自分の亡妻を重ね合わせ、禁断の「本当に幸せですか」と2人だけの時叫び、その先まで一挙に進もうとする主人公。押し隠してた図星に、激しく動揺し、恐怖に凍てつく恩師の妻。事情⋅真実を理解した恩師は、全ての保全と、自らの哀れ⋅未練を臆面もなく表に出して、頼み込む。真実の実践よりも、重くいたわらねばならぬ嘘の存在を知り、そこをさりげに去り、永遠にそこから消える主人公。
16ミリプリントとして、そんなに酷くもなく、現実⋅情愛の隠せぬ断片が、映画的昇華のまえに頻出してくる作。フィクション演じの心地よさとは別次元の、演技も消える向き合う事⋅心の痛さを剥き出しにしてくる俳優ら。ちと凄い。
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