くるみ

FAKEのくるみのネタバレレビュー・内容・結末

FAKE(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

2014年の一連の騒動についてはあまり追っていなかったので、佐村河内氏の知名度や新垣氏がテレビにあれだけ出演していたこともすっかり忘れ、本作も非常に新鮮な気持ちで見ていました。
音楽に詳しくない人間ですので、当時は騙した騙されたということよりも「耳が聞こえない人間が作った曲だから感動したのでは」という問題提議から「人間は何かを鑑賞するときに物語を見出さずにはいられない」に着目していました。
十年ぶりに会った母親のおにぎりと、毎日会っている母親のおにぎりでは、同じ材料を使っていても味が違ってしかるべきではないかというようなことです。良いか悪いかではなく、人間の認知・感覚はこういった装置になっていると納得したのです。

従って、本作も「どこに嘘があるか」ではなく「自分たちはどこに物語を見出しているのか」のほうが気になりました。ドキュメンタリー自体、事実を映すものではなく作り手が見たい物語を撮っていると思っていますし、森監督にも当然その自覚がある。
最初に佐村河内氏の聴覚障碍の中身を調べ、世間の「耳が聞こえないと偽っていた」を引っ繰り返して「かわいそうな身体障碍者を貶めた新垣氏とマスコミと世間」という構図にするところからして上手かったです。
(新垣氏のサイトには映画の内容を受けて、佐村河内氏の聴覚など映画内容との相違が書いてありましたが、この感想では事実か嘘かは問題じゃないです:http://www.takashi-niigaki.com/news/576)

その他、佐村河内氏の「騙されていたマスコミが復讐した」発言や狭い部屋からベランダに出る、電気をつける場面を映すなど、物語に沿ったしつらえが見受けられました。佐村河内氏と森監督が「達也さん」と「守さん」と名前で呼びあうところも親密さの演出じゃないのかな。
そして、作中で一番物語を創りだそうとしたのはフジテレビの社員です。森監督から指摘があったように、彼らは信念があるのではなく、素材にあわせて面白さを作り出そうとしている。ここは彼らのスタンスが悪いというより、視聴者が消費したい物語を提供していると解釈するほうが近いでしょう。
物語を作っている側が物語を作っている様子を映すというメタな構造、すごく好きです。

とはいえ、森監督が最初からあのラストシーンに向かって物語を作ったとは思えない。神山氏や新垣氏のインタビューができなかったことで、当時の検証ではなく佐村河内氏自身の内面を探る方向にストーリーラインを変えたのではと推測します。
そこでキーになっているのが、香夫人。佐村河内氏の通訳をしている様子から、最初は夫の黒子のように見えました。悪く言うと、自己がない。だから、映画が進むに連れて彼女の個性や主張が出てくるんだなと予想していたのですが、寄り添う、支えるといった言動は終始変わらずで驚きました。「奥ゆかしくて優しい良妻」を絵に描いたような、なんとも不思議な人物でした。

二人の関係性のクライマックスは、佐村河内氏の嘘が香夫人に発覚して離婚を求めたけども拒否された、と説明されるシーンです。森監督は香夫人に「なんで別れなかったんですか?」と尋ねますが、香夫人は「なんでかなあ、それが自然だったから」というような曖昧な答えしか言いません。私はその曖昧さに「言語化できない概念こそが二人が築いてきた関係性なんだ」と大きな感銘を受けました。しかし森監督は「愛しているってことですか?」と畳み掛ける。
「愛」は最強の言葉です。そして陳腐でもある。日本文化においてあの世代の方々からは出てこないような言葉でもって、二人の関係性を定義しようとする監督の介入には非常に腹がたったし、わざわざ佐村河内氏に「『愛している』って言ってください」と求めることにも強い作為を感じました。不快だった。
なのに私は、ここまでずっと二人が寄り添って生活する有り様を見てきたせいもあって、佐村河内氏の「愛している」という発言やその後の涙に強く感じ入り、泣いてしまい混乱しました。この映画は、物語大好きな人間(つまり自分!!)の感動を誘うのが非常に上手い。
個人的には泣くことは感動の度合いを測らないと思っているんで、すぐ落ち着きましたが。こちらのブログが生理現象を信頼するなという事柄をわかりやすく説明しています。
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120121/p1

自分の心すら絶対ではない、完全に信じてはならないんだと改めて決意した次第です。ここが私のクライマックスでした。

しかし、本当のクライマックスは、その後、佐村河内氏が音楽を取り戻して作曲するところです。「本当に作曲したかわからない」といったレビューもありましたが、個人的にはそれもどっちでもいいなと思います。
ドキュメンタリーとフィクションとの一番の違いは、実在の人物が出ているかどうかです。なので、音楽に触れ始めた佐村河内氏がケーキの細工に感じ入るという心の動きにただただ安心しました。
一連の騒動及びこの映画におけるテーマは、誰が嘘をついているのかです。けれど、日常生活で彼らと関わらない自分にとっては重大事ではない。作り手の方々、出演された関係者の方々には心穏やかに幸福に長生きしてほしいと思いました。

2016/07/27
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