「巨乳は今日の夢だ」
アメリアがボロい楽屋のカーテンをめくると、鏡に小さく登場するピッポ。ここ最高。
別の部屋で寝て、楽屋で離れて着替えをするけれど、停電で久方ぶりに打ち解け、舞台で呼吸を合わせる距離感に、長い離別と再開の喜びを一切の力みなく見せ、それを見送りのない別れの寂寥感で閉めるラスト。振り返るアメリアとガラスの向こうに小さく見えるピッポの後腐れなさが本当に素晴らしかったです。
なんでも一挙に見せてしまうテレビへの批判的な描き方でさえ、正にフェリーニ好みのいかがわしいく楽しい見せ物小屋仕立てで、全くいやらしさを感じませんでした。
障がい者やトランスジェンダーを、明らかに「かたわ」「オカマ」といかがわしいものとしたまずい描き方をしていますが、フェリーニの場合、むしろマイノリティに憧れがあるというか、マイノリティであることこそが普通であるような感覚があると思います。サーカスや見せ物小屋に孤独な幼少期を救ってもらった過去があるからだと思いますが。
王道を行く成功した人生を歩み、愛を語るフェリーニですが、決してマッチョな恋愛脳にはならないのが魅力的です。全てを愛せる人だと思います。
ちゃんと歳とって、真正面から老いをテーマに誠実に古臭くてカッコよくない映画を撮れるのがかっこいいですねぇ...
なんで宮崎駿は風立ちぬで終わらなかったのかなぁ...ビクトル・エリセもなぁ...そういうとこだぞ😡