キャンチョメ

トゥルーマン・ショーのキャンチョメのネタバレレビュー・内容・結末

トゥルーマン・ショー(1998年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

まず構造がめちゃくちゃ面白い。
「TV番組の企画によって作られた箱庭的世界で生きる人間の、本物の人生」という設定は、リアリティを包み込んだ虚構である。そしてその虚構を、「これは『トゥルーマン・ショー』という映画(嘘)である」という事実が、更にフィクションの箱でパッケージしている。
嘘で塗り固められている映像にもかかわらず、番組を観る視聴者のようにトゥルーマンを見守ってしまった。ラストで、彼が真っ暗な出口の外に踏み込んだ瞬間には高揚した。
嘘だと分かっているのに、映画を信じてしまうことの不思議さ、面白さを今更しみじみと実感した。

かなり怖い映画でもある。作りものに囲まれ、コントロールされて生きてきたというショックに普通は耐えられる気がしない。エキストラたちが横一列に並んでトゥルーマンを探すシーンとか不気味過ぎた。シルヴィアに出会えたのが唯一の救いかも。
他人の人生をエンタメとして消費すると言うと、倫理的にアウトな気がするが、『水曜日のダウンタウン』とか、TVの密着取材を普通に楽しんでる世の中ではあるし、自分もそうだよな、とも思う。まるごとではなく、「部分的」にエンタメとして消費することで、超ギリギリ許されているのかもしれない。
最後の男二人のやり取りのように、コンテンツを次から次へと消費する軽さは、今の時代と重なっていて怖い。そのコンテンツが、人の人生なら尚更。そういう意味では、この映画の世界はディストピアかもしれない。

YouTube等によって、誰でも自分から『トゥルーマン・ショー』的なものをやれる時代ではあるのかと思ったけど、演者が観客の存在を意識してしまうと、結構違うものになりそうだな。
キャンチョメ

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