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チャップリンの殺人狂時代のVisorRobotのレビュー・感想・評価

チャップリンの殺人狂時代(1947年製作の映画)
4.2
90%シリアスだった。すごくモダンな話で、全然古びていない。不況になって人の心が荒み、ままならぬことと人を殺す。1人殺せば悪党で、100人殺せば英雄か。そもそもモデルとなったアンリ・デジレ・ランドリューの振る舞い自体、ジェフリー・ダーマーや松永太、木嶋佳苗など作品のモデルとなるエポックな死刑囚を全部先にやってしまったような人物で、100年たっても、スマホやパソコンが流通しても社会は何にも変わってないじゃないか、という気にさせられる。

前半30分は結構退屈だった。焼却炉から煙が昇っている(死体を焼いている)という描写にも気づかなかったくらい。面白いチャップリンを見に来たので、落ち着いたチャップリンに面くらう。これはひょっとしてギャグなのか?と、死んだ嫁さんと一人二役で配達のサインを書くアンリ・ヴェルドゥを見て思う(ギャグなのだ)。

金を超高速で数える手技は元銀行員の名残だが、ランドリューは建築事務所に勤務していた。あの高速の手つきはギャグであり、狂気の証明であり、真面目な労働者だったことの証明でもある。そんな重奏的なアクションを、表現できる身体スペックがある、というのが、おそろしい。

本作のハイライトは、ランドリューが刑務所から出たてのアナベラ・ボヌールをC2HOで殺そうとし、くしくもランドリューの胸の内を見透かすような言葉(「愛のためなら人だって殺すわ!」)を言ったことで、取りやめにして金を渡して返すまでの一連のシークエンスだ。ランドリューは狡猾なサイコパスなのだが、同時に本当の愛を抱いていて、大恐慌の犠牲者でもある。罪のない女性をバラバラにして焼却炉に放り込むサイコパスが、心を動かされて理屈に合わない親切をする。ここまでサイコパス殺人鬼の気まぐれな行動を文学的に昇華させた作品は、その後の歴史でもあんまり見たことがない。

気になった点があるとすれば列車の車輪をゴーッと写してシーンが切り替わるという部分がやや単調だったのと、結末が荘厳な音楽をバックに死刑台に向かうシーンで「ええ映画だっただろ」感が出すぎていることくらいだ。

もちろん面白いチャーリーが好きで、それを期待した分前半は寂しい気持ちになったのだけど、普通に考えてやっぱりすごい映画だと思う。
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