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無理心中日本の夏の教授のレビュー・感想・評価

無理心中日本の夏(1967年製作の映画)
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ポッドキャストの課題作品。

大島渚監督の作品の中であまり取り沙汰されることがない作品、という印象。
1967年当時の世相、フーテンが街を闊歩し、相変わらず激化している学生運動、ケネディ暗殺や公害問題など、戦後の復興からあらゆるものを「空間」として捉えている。

単純に「カウンター・カルチャー」全盛の自由と秩序の衝突によるカオスは魅力的。
そして、本作で描かれる「ディストピア」的で、当時の現実世界とは多元的な別世界的なSF設定ぽさと、実にゴダール映画的な抽象的で感覚的な会話における「性」と「性別」を通した男性性の脆弱さについての物語。

ネジ子(桜井啓子)の奔放とも取れる貞操観念は、ひとつの触媒的な意味を持ち、女性の側からの挑発的なセックスの誘いにおいて、男性側の「度胸」が試される。
本作における男性たちは、その男性性の誇示に囚われ暴力という手段に取り憑かれている。
その「カリカチュア」された人物造形がフィクショナルに作劇として機能するところは今観ても古びない。

オトコ(佐藤慶)の自殺志向は特に現代的な思考でもあり、少年(田村正和)の持つライフルへの執着とテロへの執着もまたその共通する童貞的なミソジニーと反発心として、構造化された「脆弱な男性性」による社会への反発として描写される。

現代にこそ、現代の作家たちによってこういう映画をたくさん観たい。
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