オジサン

3時10分、決断のときのオジサンのレビュー・感想・評価

3時10分、決断のとき(2007年製作の映画)
5.0
善悪だけで人間を判断した時にこの世には四種類の人種がいると私は思います。
力のある善人。
力のない善人。
力のある悪人。
力のない悪人。

それで識別するとクリスチャン・ベイルの演じるダンは力のない善人で、ラッセル・クロウ演じるウェイドは力のある悪人です。
特に力こそ全てというような時代が舞台の西部劇の世界において、この違いはダンとウェイドの立場を決定的なものにして然るべき、筈なのです本来ならば。

古くから聖書なんかの教典といったものや、それこそ騎士道物語のような英雄譚といった創作物においても悪は間違っていて、努めて善を全うしようみたいな啓蒙は世界各地に遺されています。
時代や場所によって媒体や価値観などは変わってもそうなのだから、これは人類に古くから根付いている思想といっても過言ではないかもしません。

力のある善人とは歴史を振り返ってみると、偉人や英雄としてその名が後世にまで語り継がれている者たちのことです。
お金や周囲の環境や人。
なんでもいいけれど恵まれた何かを持っているか、それを手に入れた者が何か偉業を成し遂げて善人として認められ、他者から尊敬や憧れの的にされるわけです。

だからこの世の多くの創作物にしても何にしても、愛だとかそれこそ正義だとかを重んじており、これを古くからの人類に根付いている思想とした時に、人間とは力のある善人になりたいと思っていて当然なのかなと思います。

ということは、悪人とは必然的に恵まれた何かを所持していない謂わば持たざる者であるということが断言できると思います。
そこから逆説的に考えるとこの世には、力のある善人以外は悪人か悪人になる可能性が大いにある人間たちとで構成されているということです。

力のない善人は力がある善人に憧れて、そうなるための何かを求めるわけですが、その過程次第にもなりますがその何かを得られなければ悪人に堕ちてしまうわけで、この場合に大事になってくるのは信念だとかだと表されるものだと思います。

正しいことを貫き通すことに疑問を感じてはいけないというと語弊があると思いますが、要するに正しい行いをしてそれが裏切られたり、失敗したとしても正しいことを正しいと主張する心の強さを信念と呼び、この作品では私が言うところのその信念を“誇り”だと表現しています。

私のこのお話を前提にするのならばラッセル・クロウ演じるウェイドは、元は当然力のない善人だった筈です。
それが紆余曲折を経て悪人へと身を堕とし、そこから西部でも知らぬ者がいないほどの大悪人へとなったということなのですが、この映画を鑑賞したら私が何を言いたいのかなんとなくわかると思います。

エンターテイメント性溢れ、それでいてちょっと考えさせる満足感を与えてくれる作品だと思います。
私の評価は星5つです。
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