大道幸之丞

黄泉がえりの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

黄泉がえり(2002年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

「あなたは、自分にとって喪った大切な人が一度でも蘇る事ができるとしたらそれを望みますか?」という問いかけの作品。面白いです。

似た作品で有名なものとしては

「異人たちとの夏(1988)」
「いま、会いにゆきます(2004)」
以上に連なる「死者よみがえりもの」といえましょう。多分にファンタジー作品。

原作もあるが、そこにはいない登場人物もいるし、人物名は同じでも職業設定などがほとんど変更されている。ほぼオリジナル脚本と言ってもよいだろう。

まず「熊本県阿蘇地方」という場所の設定もよい。一応巨大なクレーターが出来ていて、そこを中心に「黄泉がえり」現象が起こっているなどの根拠性も最低限押さえている。

「強い念(おも)いを持った人の気持が磁場に作用し物質的に黄泉がえりを生む」というざっくりとした設定からはむしろSFの名作「ソラリスの陽のもとに」を想起する。ここでは蘇った者たちに対し自責の念にかられて皆が苦悩を抱え込むのだが——。

「黄泉がえり」と呼ばれる蘇生者達はこのエリア内でしか存在出来ない。ここからから出ると一旦消滅し蘇生を願った者の側で再び姿を現す。

実力派俳優がこれでもかというほど起用されていて、物語を決してちゃちなものにさせない。草彅剛も現在は実際、役人でも彼のような感じの人物が増えてきていて、リアリティもある。

——ただし理由が判然とせずに「蘇った」のなら、いつまでその姿があるかも合理的な理由もないのだからいつ突然消えてもおかしくない——という疑問と心配がつきまとう。それはこの物語でも重要な部分となる。

——蘇生者はさり気なくではあるが「黄泉がえり」と呼ばれ現実の人間とは一線を画されやや差別的に扱われている空気があって気になる、もし本当にこんな事が起こったのならそうなるだろうな——とも思う。

一度人々の記憶から「亡くなった」と認識された者がふたたび存在しようとしてもそう、容易ではない。

橘葵役の竹内結子は2003年に本作を、翌2004年には「いま、会いにゆきます」のヒロイン秋穂澪役を演じ「死者よみがえりもの」に続いて出演している。

そして彼女が亡くなるのは約15年後だが、ここでの 20代半ばに差し掛かった竹内結子は美しい盛りで、今この作品を観るとどうしても、その後の彼女の人生に思いを馳せてしまう。

ラストに近い場面で葵のために平太は俊介を蘇らせんと鹿児島から俊介のドナー献体の横隔膜を運び込むが、結局、中にはそうやって条件を満たして意図的に「黄泉がえり」させようとするものも出てくるのだろう。

ラストは「さあ、どう泣かせるのだろう」と思いながら追ったが、ちょっと入り込めなかった。

充分楽しめた作品であった。

蛇足を承知で書くとやはり「亡くなる人にはその意味が必ずある。問題は周囲がそれにいつまでも振り回されれば不幸になる。人間は寿命があるから人生を大切に生きようとするもので、一度きりであるからこそ美しいのだろう」と感想をもった。