カラン

ビューティフル・ガールズのカランのレビュー・感想・評価

ビューティフル・ガールズ(1995年製作の映画)
5.0
男の幻想の中の、愛しき者とは。

当時書かれたプロのレビューを見てみると、厳しいものである。ニューヨークタイムズに当時載った書評では、女性評論家が、内容がなく、ただしボキャブラリーだけは豊かな評を書いていた。いかにもフェミニストなかんじの文体で冷たくナタリーを批評していたのを読んで、この映画は女性には、難しいのだろう、と感じた。

売れないピアニストの主人公には弁護士で、頭がよくて美人の恋人がいるが、田舎に帰ったとたんに小学生の少女に恋をする。その少女との恋に憂いを感じると、都会から帰省していたユマサーマンを誘う。しまいには、元鞘になった後で、ピアニストの夢を諦めようかと恋人に持ちかけ、「セールスマンよりもピアニストのほうがセクシーだから」と女に言わせる始末。これで女性受けを狙うのは無理だ。この映画の男たちは、女に甘え過ぎなのだ。

女性受けは、少し厳しい、と思う。おまけに尖ったところがあるわけでもない。しかしこの作品は伸びやかにそれぞれの魅力を表現する役者たちが活躍する傑作で、中年にさしかかろうとする男の青春の終焉を柔らかく描くムービーである。この映画で事件は起こらない。すべては元の鞘であり、すべては自分のあるべきところに帰っていく。

ビスコンティの『ベニスに死す』で何かが起こるわけではない。タイトル通りに、死すべき者が死すのだが、その際に老人が美少年の背中を追うという不毛でナルシスティックな幻想を抱くだけの映画だ。そしてビスコンティが心血を注いで、タージオを探したのは、その存在が映画の説得力になると分かっていたからだ。「何も起こらない」映画なのだから。『ベニスに死す』が燦然と輝く映画史の金字塔であるように、このロマンティックコメディを楽しもう。あの麗しい北欧の美少年が立った位置に、ナタリー・ポートマンが立つのだ。

監督はテッド・デミ。『ブロウ』の人と言えば分かるだろうか。若くして死んでしまった。『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミの弟さん。

女優陣はナタリー・ポートマン、ミラ・ソルビーノ、ユマ・サーマン、アナベス・ギッシュと並ぶ。嫌な女の役だがローレン・ホリーもいる。一頃前、大人になった松田聖子を、フェミニン系が「自由な女性」として推したが、それと同レベルか、もう少し哀れな女をしっかり演じている。


☆ナタリー ・ポートマン☆

この映画は役者たちに好きにやらせているのだろうか?のびのびとナタリーはロリータを演じている、ように見える。少女だが聡明で、だから少し寂しげで、この子の未来を観ていたいという「痴人の愛」をもよおさせる、幼いナタリー固有の魅力はレオンのマチルダの時より、高まっている。生成する美。

主人公のティモシーハットンは売れないピアニストで、美人で弁護士の恋人を残して、故郷の田舎町に帰って、隣の家に住むナタリーに出会う。親友には正気を疑われるが、ティモシーハットンはナタリーのことを考えながら「ただ美しいものが好きなだけだ。」とうそぶくのも無理はない。
この時代のナタリーは、単体で映画を作ることができる女優だったわけだ。あの時のナタリーにしかできない映画があった、その貴重な記録、いや、その真骨頂が発揮された映画だ。
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