のりまき

12人の怒れる男ののりまきのレビュー・感想・評価

12人の怒れる男(2007年製作の映画)
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トーゼン、あの『12人の~』のロシア版で不良息子が父親を殺した事件を12人の陪審員が評決するというストーリーなのだが、プロット同じなのに全然別の話になっているというスゴい映画!
まず、オリジナル版は密室劇なのに、こちらは回想シーンとはいえバンバン外に出てしまいあの閉塞感はない。会議室も体育館で広々しており、鳥まで舞い込んでくる。それどころか、容疑者の少年が牢の中で寒さを紛らわすためにダンスするシーンが繰り返し挿入される。そればかりか、なぜ少年がナイフを手に入れたのか、なぜ孤児になり、なぜ養子になったかまで丁寧に回想される。(もうこの時点で少年は顔のないモンスターでは無い。)
個人の匿名性もない。名を名乗ることこそしないが、個人の職業や立場があからさまに本人の口から語られ、そればかりか友人や家族にも秘するような心の裡までも述懐される。このことごとくが過去のロシアに関わる慚愧の念や苦衷であるのがロシア人の複雑な胸の内を表している。
露骨な民族差別や階級差別、社会構造の腐敗(無実の少年を釈放することがこの生命を危険に晒すという背反)。見栄、偏見、利己主義、日和見主義、嫉妬。そのなかで慈悲を、真実を求め、必死に足掻く。燃えるピアノ。(燃やしてはいけないものを燃やすのは内戦経験者に共通する)
論理によって相手をねじふせるという『12人の~』の構図がより暴力的に展開される。息子と不仲な差別主義者が日和見主義者を寝返らせようと、車椅子に座らせ、ホラー映画張りの血みどろな未来予想図を語り聞かせるところや、カラカス出身の医者がナイフの持ち方について逆ねじを食らわすところは圧巻!(民族伝承である特殊なナイフのエピソードはバタフライナイフより新鮮!)
オリジナルのある意味単純な個々の信念を持った人物たちが世界の変化に伴い転身を余儀なくされ、複雑な人間にならざるを得なかったということ自体がこの作品の根幹を支えている。
そしてラスト、真実を求め、みすみす少年が命を落とすのを見過ごすのか?自分の発言にどこまで責任を取れるのか?もうこれは全く別の次元だ。
かつて男たちは真実と正義を求め、白熱した議論を戦わせた。無論卑小な人間もいたが、そのことを恥じ、隠そうとした。公正であろうとし、また法が無垢なるものを守ると信じていた。
数十年後、男たちは自分たちの偏見や醜さを隠そうとしない。ただ自分の弱さから目をそらそうとするだけだ。紳士たろうとせず、下衆であることを辞さない。そして何より法は弱者を守らず、正義など存在しないことを知っている。そして絶望している。ロシアだけでは無い。

フリードキンがチャレンジして失敗したリメイクに真っ向から組み付いた作品。監督・脚本・出演をこなしたニキータ・ミハルコフに脱帽である。
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