もめん豆腐

リービング・ラスベガスのもめん豆腐のレビュー・感想・評価

リービング・ラスベガス(1995年製作の映画)
4.3
前回観たのは多分20年前。その時も良かったと感じてたんだけど、今回久しぶりに観たら心が揺さぶられまくった。自らの状況がこの二人に近くなったからだと思う。前に観た時はガンガン働いていて、40代になったら仕事でMax Maraのキャメルのコートを着られるような地位に就きたいと思ってた。それがどうよ。病気が長引き働けず。完全にベン側の人。だから彼の気持ちがわかるし、彼がした決行しない自殺をする気持ちも理解できる。きっと何度も何度も断酒や依存症のリハビリ施設へも行ったんだろう。その度に周囲も協力してくれたんだと思う。それでも酒をやめられず、結果家族に去られ、職場にも迷惑がかかり、解雇され、決行しない自殺に踏み切ったんだと予想する。酒に殺してもらう算段だ。
ベンのセリフで目頭が熱くなったのがあった。

「君に彼が又は彼女がいるのか、それは知らない。だが暇があれば一緒に夕食を食べられると」

売春婦のサラとセックスなしで一晩過ごした後の夕食を共にしたいとの誘い。ここに彼の人柄が詰め込まれている気がして仕方なかった。彼女に対して全方位の気づかいをしてる。想像するにサラはそんな風に誰かから気づかわれたことなどなかったであろう。初めて自分に人間らしくやさしく接してくれた男性。彼の人柄が滲み出てるセリフだと思った。
ベンは解雇の際もきっと相当な額の小切手を貰ったんだと思う。さらに勝手な想像だけど、その解雇に至るまでの迷惑も過大なものだっただろうに、それでも酒が入らなければ彼の人柄は皆に愛されていたに違いないとも思った。お互いが「酒さえなければ」と思うほど、良好だったのであろう。だからこそ、この物語はやるせないのだ。
そしてサラを演じるエリザベス・シューがとにもかくにも、とても良い。これこそが愛。そんじょそこらの「愛してる」なんて、愛ではなく恋ね。恋情。愛とは相手の悪いところをも大きく包み込むもの。ひたすら献身的に尽くして尽くて尽くしまくる。悩みながらたまに悲壮感に包まれながら、生きる気が全くない男を愛する。一見、破滅へ一直線のように見えるのに、彼女も彼と過ごすことで救われている気がしてならなかった。愛するって、強くなることなんだと見せつけてくる。彼女はベンを失ってもいつでも手のひらであたためながらベンを思い出せる人だから、ただ単に寂しくてどうにもならないだけの女にはならない気がした。
最後に、この原作者さん、映画の版権を売ってすぐに自殺してしまったのを公開当時から知っていた。そのせいもあり各女性ファッション誌の映画欄にもセンセーショナルに書いてあって、とても衝撃だったのを覚えてる。最高傑作を世に送り出して安心して逝けて良かったね。だって酒に溺れることもなく誰かに傷つけられることもなく、楽しく穏やかに天国で過ごせるんだもの。お疲れ様でしたと声をかけたい。
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